『タイガー・マザー』を読んで、
「だから・・・なのね。」と納得した部分がある。
大雑把なくくりでの、”中国人ママ”を自称する著者は、
勉強のみに重点を置き、そのほかの行事はパスする。
例えば、生活発表会などで行われる演劇、ハロウィーンパーティーのための
学校を飾りつけるなどの行事には「参加する必要はない」と子どもに教える。
「お泊り会」なども禁止!
多分、これは限りなく”中国式”だと思う。
中国人の親たちは、”勉強のみ”できる子を育てているように私も思える。
私が中国にホームステイしたとき、同じ中3のホストシスターは
夜中の0時まで勉強していた、毎日。
私が夜9時に寝ている横で…。
「私は、学級委員長なんですよ、メイメイ。」と私に言ったとき、
私も学級委員長だったため、私と同じでリーダーに担がれやすい人、
くらいにしか思わなかった。
しかし、後で、中国での学級委員長=クラスで1番の成績、を意味することを知った。
勉強ができることが一番すごい、と思われているため、
できない子には容赦がない。
ホストシスターの友人はピアノが得意で(彼女のパパはオーケストラのバイオリニストでした)
ピアノがと~っても上手。
「すごいね~!!」と感心して拍手する私の横で、
「でも、彼女は勉強が得意ではありません。」と堂々と言うホストシスター…。
日本語が彼女にもわかるのに今、言う?ここで言う?と唖然。
その後、私もピアノを弾く羽目になり、キャリアだけでま~ったく動かない指で
1曲の半分ほど弾いたら、
「あなた、ピアノ下手ね。」とピアノ上手~!と褒めた子から私がバッサリ。
…どういうこと?!
ここは一応、お世辞でも「すごい」くらいは言うところでしょ。
一人っ子政策のせい?!と茫然としたものです。
大学時代、”お姉さん”と慕っていた女性は内蒙古出身の人で、
彼女と夏休み期間中、ほぼ毎日話をしていたら、私の中国語は
完璧に彼女のイントネーションになったらしい。
そりゃそうだ、彼女の中国語を吸収したのですから。
かなり中国語が上達した気分の私は大学で上海出身の友人に
夏休みの出来事やあれこれを話した。
そのときの彼女は一言、「田舎くさい。」とものすっごい嫌そうな顔で言った。
せっかくあなたの中国語はきれいな中国語だったのに、
あっという間に汚い方言、田舎くさいイントネーションになってるわよ!と。
そうなの?吉林省出身の友人は、そんなこと指摘しなかったわよと話すと、
彼女は続けて、「だって、あの人は中国人じゃないもの。」と。
吉林省出身の友人は少数民族、でも、れっきとした中国人なのに。
少数民族出身の彼女はいつも「変な中国語よ。」と中国人にからかわれ、
そのたびに「何、言ってるの?!」と私は激怒した。
「いいのよ、私は気にしない。慣れている。」と少数民族出身の彼女が言うたびに
日常茶飯事なのを垣間見たり。
彼女たちはみんな”勉強は”できるんです。
でも…何かが足りないだろう、と思ってしまう。
これは中国人だけではない、日本でもある職種の人に多い気がする。
それは”医師”。医者の何気ない一言に傷ついた話なんて、ごろごろ転がっているし、
私自身も何度も呆れ返る発言を聞いた。
お勉強だけはできたのだろう。
娘の将来なりたいもの5歳からず~っと「小児科医」。
かかりつけの小児科医を尊敬して、「○○先生みたいになる!!」とずっと言っている。
その○○先生にたどり着くまで、何度、「はぁ~?」と
呆れるような小児科医に出遭ったことか・・・。
「お医者さんは、お勉強も大事だけれども、それ以上に他者を思いやる心が必要よ!」と
経験談から口を酸っぱくして言ってます。
私が育てたいのは、「お勉強だけできる人」じゃないなぁ~と本を読みながら思った。