ショコラ日和

海外文通を通して、世界の友達と井戸端会議しています。

1冊の本

イギリス出身の男性に

「日本って、アメリカナイズされているんだ~」と言われ、

「・・・。」と固まった。

言葉以外はアメリカと同じってこと?

31アイスとケンタッキーとマクドナルドで?

いやいや、靴を家に入る前には脱ぐし、

久しぶりに会った友人だからといってハグもしないし、

”あなたのこと、誇りに思うわ!”とも子どもに言ったことないし、

人前で夫にキスもしないけれど、アメリカ化されてるのか?

日本はアメリカと違う!とアメリカとの違いを強調するべきなのか、

その程度のことで”アメリカだ”と話すなら、

香港のパルも中国の友人もアメリカですけれど…と返すべきか、

なんだか自分でもよくわからないんだけれど、

どう思う?とロンドンのパルに聞いてみた。

It's like sayins "everyone is the same because people read a book."

(みんな同じ本を読んでいるから一緒、というのと同じね)と。

…はい?と聞き返すと、

「みんなが同じ本を読んだって、それぞれの環境が違えば

感想も考え方も違う。」ということらしい。

イギリスも日本もアメリカも、私たちはすでに同じ文化やものを共有しつつある、

マック然り、ケンタッキー然り。

だからといって、同じになるわけではない、と。

これ、何かの格言かことわざか?と聞こうと思ったら、

「おやすみなさい~」とロンドンのパルが寝る時間になってしまった。

ネットで調べるものの、いまひとつヒットせず…としていると、

アメリカのパルからLineがきたので、聞いてみる。

”No two persons ever read the same book."

(同じ本を読んでも(経験が違うから)感想が違う。)ということわざ?が

あるようで、ネットで検索してみると、いっぱいでてきた。

おぉ~!まさにこれだ!

ロンドンのパルはもしかして、ハルキスト?と思ったりしてました。

“If you only read the books that everyone else is reading,

you can only think what everyone else is thinking.”

― Haruki Murakami, Norwegian Wood

(あなたがみんなと同じ本しか読まなければ、

あなたはみんなと同じ考え方しかできない)『ノルウェイの森

同じ日本人でも理解に苦しむ人もいれば、

イギリス人なのに旧知の友のように語りあえる人もいるし、

イラン人の親友もスペイン人の妹もいる。

でも、基本的に、”私たちは違う”という思想がある気が私はする。

違うから、理解に努めるし、知りたいと思う。

海外のパルたちには存分に発揮される私の”寛容さ”は、

こと日本人にはとても厳しい、と自分でも思うことがある。

「私たちは同じ日本人。あなたも”わかる”でしょ?」

という思いが寛容さを欠かせるのだろう。

イギリスの件の男性にはこう返信した。

「私たちはすでにさまざまな文化を共有しているし、

この世界ではそれが当然のことになっている。

でも、だからといって、文化も一緒にはならないのが、

面白いところだと思うわ。」

違っているから面白い、肝に銘じよう。

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