今週はなぜか”第二次世界大戦”の話題をあちこちから
振られた一週間だった。
ロンドンのパルは大学で靖国について学び、
「複雑な気分になったけれど、あなたはどう思う?」と
たった数行にものすごい重いメッセージを送ってきたり、
オランダのパルから「第二次世界大戦の時代と重なる」云々という
手紙をもらったり、
アメリカのパルからも「第二次世界大戦とアメリカ」についての
話題になったり…。
終戦記念日のある8月は私の中でも第二次世界大戦をよく思い出す。
ただ、この冬になりかけの今、
一体、何ごと?と正直、驚いてしまった。
各国のパルと話すたびに思うけれど、
”公平な歴史はない”という観点に立つことが重要だと思う、
いや、きっと200年後の誰かは公平な視点で歴史を語れるかもしれない。
ただ、まだ私たちは戦後70年のいまでは、
それぞれの戦後があまりにも身近すぎて、
それぞれの家族の戦後を思いやることで精いっぱいな気がする。
ロンドンのパルも、オランダのパルも、私も、
祖父の代までさかのぼるだけで、わんさかと戦死者がいる。
「どの国の歴史も公平ではないし、正しいともいえない」
という立場をロンドンのパルと明確にしつつ、
それでも、いま敢えて私たちが言えるとしたら、
「繰り返さないってことよ。」という話にロンドンのパルとなった。
オランダのパルとも「どの歴史が正しいのかわからない」
という立場にともに立ちつつ、敢えて言うなら
「私たちの息子を戦争に行かせたくないってことよ。」と話した。
パルたちと歴史の話をしたわ~と一言も言っていないのに、
小3の娘はまだ歴史も学校で習っていないはずだけれど、
「日本が昔、戦争したアメリカやイギリスの友だちって、
どんな感じ?」と聞かれた。
戦争をしていた時代がつい70年前まであったのに、
いまは違う言語と価値観を尊重し、お互いの歴史を認識しつつ、
それでも笑って話せる。
「平和だな~って思う。」と娘には言ったけれど、
どこまでわかったのやら。