小3と小1の子どもたちが「お小遣いが欲しい!」と言い出した。
金額の大小にかかわらず、定額制ということに抵抗を覚え、
「お手伝いをしたらね。」という話にした。
3人のこどもたちが、それぞれに貯金箱に働いて得たお金を入れ始めた。
「靴を並べたよ。いくら?」
「テーブルを拭いて食器を並べたよ、いくら?」
「お風呂を洗ったよ、いくら?」
たった1日で、「それはおかしくないか?」と子どもたちに
聞いてしまった。
そういう家事の一つ一つでお金をとれるなら、
「洗濯しました、300円です。」
「夕食作りました、300円です。」
「お布団干しました、500円です。」と
母さんも言いだしていいのか?
そこは家族として手伝って当然のところなのでは?と。
ロンドンのパルにその話をすると、
”allowance" (お小遣い)はもらってなかったことが判明。
彼女も3人兄弟、
「一人にあげても、いずれは3倍だからじゃない?」と。
「車を洗うのだけは、そういえばお小遣いもらえたわ!」とか。
労働の対価としてお小遣いを支払うべきか、
家族の一員としてお手伝いはお小遣いにカウントしないのか、
「うーむ。」とロンドンのパルと二人で悩んだ。
でも、”家族の一員”として、”無償労働”を当然のように思われ、
その結果に女性が専任介護士のように家庭内で介護をする環境は
とーっても好ましくないと思うし、
そこは対価を支払って然るべきだとも思う。
それなら、子どもたちのお手伝いにも対価を支払うべきなのか。
日本では、学年×100円が一般的!とは娘の説。
それは”みんなが言っていた”らしいが、小学生の”みんな”は
きっと3人程度かと。
アメリカではその10倍の金額をお小遣いとして渡し、
衣服に至るまでまかなわせる、とネットで読んだけれど、
本当なのかしら?
こういうのって、誰に聞いても”It depends on parents."
(親による=家庭により、いろいろ)という答えが戻ってくるけれど
ちょっと聞いてみよう。
まずは、久しぶりにポーランドのパルから、
「お小遣いもらってた~?」から始めようかと思う。