「ストレスが溜まって、自律神経にきて眩暈がした」という
私の手紙が続々とパルたちのところに届いたようで、
「ジョギングしたら?」
「ヨガは知ってる?」
「ハーブティーはおすすめよ。」
「アロマがいいのがあるわよ!」
とみなさん、それぞれアドバイスをしてくれる。
”Do you know cognitive therapy?"とオランダのパルからも
メッセージが来た。
何のこと?と調べてみると、認知療法。
私のイメージでは精神病の人に使うというイメージでしたが、
ちょっとしたコツはストレスを上手に消化するのにいいのよ、
とオランダのパルは言っていた。
「近かったら、私が家に毎日呼ぶのに~!!」愚痴に付き合うわよ、
ということだったのですが、
彼女、昨日、救急車で運ばれて入院してますから…。
救急車に笑顔で搬送されるところを彼女のパートナーが撮った写真を、
私に送ってきてくれた。
持病の影響で息苦しくなって主治医に電話したら、
救急車でくるようにって言われたらしい。
初めての救急車だから、相方に「友達に写真送るから撮って!」って
頼んだらしい…。
海外のパルたちに
「さぁ、私にストレスの原因を言ってごらん!」と言われるけれど
「え~っと…」から先が続かない。
アレ!とか、これ!!とはっきり言えるものではなくなってきた。
空気を読むという日本人ですが、ストレスも空気になっている気がする。
私が子ども会の会長をしていて、一番ストレスだったのが”責任”。
何か新しい方法をしようとすると、
「何かあったら、責任はどうしますか?」と聞かれる。
何って、例えば何?事故が起きそうっていうのなら、
事故が起きないように予防策を講じればいいし、
安全面での不安があるなら、その点をみんなで議論して解消すればいい。
でも、そういうのではない。
”何か”あるかもしれない、っていうそれだけ。
既存のやり方を変えたいって思うのは、安全面で不安があったり、
二度手間になっていたり、労力と時間が膨大だからなのに、
変えたとき、”何か”起きることを恐れる。
「責任はどうしますか?」と。
私がいつでも責任とって会長職を辞めますけれど!と思っていた。
「何かを起きないように、問題が何かあるか考えましょう」
と言っていたけれど。
これが小学校にも同じで、こういうやり方にしてほしいという提案をしても
「何かあったら、どうしますか?」
そんな漠然とした”何か”では対処できないから、
もっと具体的に問題点を指摘してもらえませんか?と何度言ったか。
こういうのって、海外のパルに通じにくい。
文化に根付く”空気”って、伝えにくいわ~という話を
ロンドンのパルに愚痴ったところ、
(なんやかんや言いつつ、ロンドンのパルには愚痴った)
「あれと一緒ね、女性はクリスマスケーキっていうやつでしょ?」
と言われた。
24日を過ぎたクリスマスケーキと24歳の女性っていうアレ…
10年前の話ね。
今は24歳で結婚したら、「早いね~!!」って言われるかと。
空気って、批判しにくい。
24歳を女性の適齢期とした空気然り、”何か起きると心配する人がいる”然り。
それは誰が言っている?何について?と具体的にできたら
解決方法もあるんだけれど。
田舎でローカルルールなんてものまで暗黙の了解で存在したので
余計にややこしかった。
あうんの呼吸や暗黙の了解、慣例や例年通りに慣れた人たちには
いちいち「なんで?理由は?」と求める私もストレスだったんだろうなぁ。
そこはまぁ、お互い様か。