ショコラ日和

海外文通を通して、世界の友達と井戸端会議しています。

ホームスクーリングで子どもを12歳で大学生に!

衝撃的なタイトルで買ったのに読んでいなかった本を
私以外の家族が20時半就寝したので読んだ。

 

学校に通わず12歳までに6人が大学に入ったハーディング家の子育て

学校に通わず12歳までに6人が大学に入ったハーディング家の子育て

 

 

アメリカ人の18才で結婚した夫婦で、とても熱心なキリスト教徒。
自然家族計画法(月経周期から排卵日を推定する避妊法)を用い、
子どもは10人で、あと二人産めば12人、12って完璧な数字だわ、
と言ったり、各所に聖書や宗教的な言葉が散りばめられていて、
全く信仰心を持ち合わせていない私は面食らう箇所が多い。

それでも、こどもたちは12歳で大学に入学し、
医者、建築家、音楽家となっていて、
さて、どんな教育をしてきたのか?と気になる。

簡潔に言えば、”先取り教育”。
ホームスクーリングで先取り教育をしたら、12歳で高校生レベルの
数学を解くようになったんです!
だから、SAT(大学進学適性試験)を受けたら合格して、
大学に行けたんです、というもの。

ホームスクーリングがいかに効率的な学習方法かと語られていたけれど
それは確かに、と納得する。
私もこどもたちにちょこっと先取りしている。
夏休みなどにちょこっと先に進める、というだけなのだけれど
これがマンツーマンだとすごく早く進む。
そして、「えっ?学校ではまだここ?」と学校の進度の遅さに驚く。
このまま先取りを続けたらうちの子だって、13歳で大学に!?
…とは日本の大学ではならない。
まず、以前の大検、いまの高卒認定試験を受験するには
満16歳以上で、大学受験も大抵は高校3年と同じ年齢となっている。
日本では飛び級なんて不可能だから…と残念がってしまいそうになるけれど
「果たして、飛び級がよいのかはいまでもわからない」と
13歳で高校に飛び級した娘を持つスイスのパルは言っていた。
「娘は勉強には苦労しなかったけれど、人間関係にすごく苦しんだ」と。

12歳で大学に行って、さて、何が楽しいのかしら?とも思い始めた。
年相応の楽しみはなかったかもしれない、と。
ホームスクーリングと学校で出会う人たちの多さを考えると学校に軍配が上がる。
いろんな先生に出会うきっかけや友達との小さなトラブルはホームスクーリングでは
悩まされることもないかもしれない。

この本は、『タイガーマザー』のように
教育ママによる教育法の本だと思っていたのに
「さて、あなたはどんな子育てをしたい?」という疑問を
私に投げかけてきた。

「できたら、子ども時代は外遊びをしてほしい」
「本の楽しさを知ってほしい」
「小学校でつまづかなければいい」
というレベルなんです、私が求めているものは。

こどもたちが面白い!と思うことは年齢関係なく
どんどん探求していってほしいし、それを手伝うのが親の役割だという
彼ら(著者夫妻)の意見には同意する。


末っ子で6歳の次郎は夫に「ロボット作りたいから、手伝って!」と言い、
次郎が楽しく思えるロボット作りを夫といま考えているし、
小4の花子は理系女子なので、算数オリンピックの問題を与えると
とーっても楽しそうに考えている。
「母さん、ヒントちょうだい!」と言われても、
数学的ひらめきに欠ける文系の私はお手上げで、
娘は理系の夫とああでもない、こうでもない、といって問題を解き、
問題が解けても、ほかに解き方はないのか、
もっと簡単に解けないのか?と試行錯誤するのが楽しいらしい。
全然理解できませんが。
小2の息子は「将来の夢はゲーマー!」と言い切っている。
どこから突っ込んでいいかわからないレベルだけれど、
夢中になるものがあるのはいいことだ!と思うことにしよう…。

著者の思考が端的に表れているのがここ。

 

わたしの友人には大学の学位を持っていながら、
母親としてホームスクーリングをすることを選んだ女性が何人かいる。
彼女たちはまったく後悔していない。

両親や親戚からは否定的に捉えられ、
せっかく受けてきた教育を”無駄にしている”と言われてきた。
しかし、子育てをする上で”無駄になる”ことなどありえない、
と彼女たちは知っている。われわれ夫婦は娘たちにも息子の結婚相手にも
ぜったいにそんなことを言うつもりはない。夫と私の共通認識は、
夫が稼ぎ私が家事をするというものだ。そのやりかたで、
わたしたちはうまくいっている。妻として、

そして母としての役割のおかげで
わたしはたくさんの喜びと安心感を得ているし、

神が夫を通じて日々の糧を与えてくださると信じている。

ただし、こういう考え方は聖書に基づくものであって
一般的ではないかもしれないことはわたしも知っている。P59

 

”教育は無駄にはならない”という前半部分には私も賛同するのだけれど、
そうか、それは聖書に帰結するのか…と驚いた。
でも、本書はこんな感じで、宗教に帰結する形式で書かれていて
そこが日本人の私には居心地の悪さを感じさせた。

 

 

 

 


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