ショコラ日和

海外文通を通して、世界の友達と井戸端会議しています。

『欲と収納』


お口直しのように群ようこを読んだ。
『欲と収納』

 

欲と収納 (角川文庫)

欲と収納 (角川文庫)

 

 

彼女がいままでに過ごしてきたアパートや部屋と
それにまつわるエトセトラなのだけれど、
耳が痛いのが”着物”に関する収納。
群ようこのエッセイで何度も出てきていたのが
着物が大好きな彼女のお母さん。
群ようこがため息をつくほどの着物を次々と買って行って、
支払いは娘に頼んでいた。

そのお母さんが病気の床に就き、
大量にお母さんの着物が送られてきてみれば
カビだらけでゴミと化したものや、また着るために

手入れが必要になり結構な出費になってしまった着物。

群ようこ自身も着物を減らそうとせっせと周囲の人に譲るのに
また大量に着物が増えていく。
ダンスにも入らず、畳紙(たとうし)に入れて
積み重ねられた着物。
着ようと思ったら、あれはどこだっけ?から始まるという大変さで
着ようと思った着物を探すだけで一苦労。

あぁ…と私も我が家の洋ダンスの上に積まれた畳紙を
思い出してしまった。
祖母の着物、母の着物、私の子ども時代の着物、
親戚のおばちゃんにもらった着物に近所のおばちゃんにもらった着物、
各種あるけれど、私が誂えた着物は一枚も!ないので、
袖が短かったり、丈が短かったり、
素人には着付けに苦労する着物ばかり。
それに浴衣も5,6枚あって…
今年こそ、着物を整理して
着る物と着られないものに分けよう!と思い立ち、
着物の整理を試みたことがある。

群ようこの場合は、普段着の着物が多かったらしく、
華やかな場に着る着物はなかったらしい。
私の場合はその逆で、訪問着と小紋、附下、振袖(母の!)があって
普段着の着物は数枚。
帯は近所のおばちゃまたちが私が何度か着物を着ていたのを見かけ
「これを使って!」とたくさん手作りのカジュアル帯などももらい、
帯は売れるだけある。
着物1枚に帯3本とはいうけれど…帯多すぎる気がする。
それに、そんなカジュアル帯を締める着物はない。

そうだ、もっとカジュアルな帯に合う着物を買おう!とすると
着物は増えるし、
だからといって、無理やり着物を着る機会を増やそうと
家庭訪問の先生を訪問着でお出迎えしたり、
参観日に附下で行くと、びっくりされるだろうし、
どこに着ていけばいいの~!?という着物ばかり。
それに、着物で最も難しいのは”季節感”、
ちょっとした季節の先取りは許されても

季節が終わったものを着るのは

粋ではない。
それなのに私が持っている着物は夏の着物だったり
(夏の着物、絽は高いお着物なのに、
夏に着物を着る根性が私にはない)
季節感をしっかり主張する柄があったり…。
もちろん茶道を嗜む母がいるので、
今すぐ着たいような目をつけている素敵な着物もあるけれど
私のところまではまだ回ってきていない。
つまり、我が家にあるのは「いつ着るの?誰が着るの?」
という着物ばかりなのかも。

そして、結局は我が家でも積まれたままでいる。
私はいまひとつでも、娘が着るかもしれない、
着物は代々、受け継いでいくものだ
(その価値があるかは置いといて)と囁く人が私の内にいて
やっぱり捨てられないまま、整理もできず、いまに至る。
「和ダンスを買うか?」と何度か夫に聞かれたが、
ダンスを買ったら最後、隙間があったら着物を買いそうで
ダンスを買わないことが精一杯の抵抗になっている。

群ようこの本を読み終わって、私も畳紙の山を見た。
こどもたちのピアノの発表会には小紋でも着ていこうかしら。
先生、驚くだろうけれど。

 

 

 


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