ショコラ日和

海外文通を通して、世界の友達と井戸端会議しています。

『破戒』

学生時代に読んだ本を再読すると
「あれ?こういう内容だったっけ?」と驚くほどに
感情移入する人物が変わっていたりする。

文学部の学生だった時、いろんな作家の本を読んだけれど、
なぜこれが大流行したんだろう?と首をかしげたくなるほど
面白くなくて苦行に近かった流行本もあれば、
流行ったかもしれないけれど、内容が薄っぺらいと思う本もあり、
その一方で、なんて色褪せないんだろう!と驚くほど新鮮に
いまの私でも読める本があった。

その中でも一番驚かされたのは島崎藤村だった。
私の中の島崎藤村は「初恋」の詩。

まだあげ初(そ)めし前髪(まへがみ)の
林檎(りんご)のもとに見えしとき
前にさしたる花櫛(はなぐし)の
花ある君と思ひけり

で、始まる可憐な初恋の詩。
しかし、講義で取り上げられたのが『破戒』。

 

破戒 (新潮文庫)

破戒 (新潮文庫)

 

 

ほぼ20年ぶりの再読を先日、した。
『破戒』のあらすじは、被差別部落出身の丑松が教員として働く、
出身部落のことを隠せ、というのが丑松の父の戒めだった。
友達にも言わず、想い人にも言わず、
ただ内に秘めるが、ついに…という結末は意外なもので、
「えっ?そんなのあり??」というものだったけれど
当時では意外にアリな選択肢のひとつだった、と本で読んだ気がする。

本の全編を通して語られるのは明治には被差別部落などはなくなり、
誰もが平民になったというものの、被差別部落は存在し、
それは隠さなければならないもの。
そして、明らかになったときには困難や苦痛が待っている。

これをいまの作家が書いても全く驚かないくらいに
現在も同じ状況があることだった。
同和問題と語られるそれらの問題を私も結婚のときに家族や親せきに
夫の出身地域を聞かれることにより根強いことを知った。

学生時代は、被差別部落出身であることを隠す主人公、
丑松の気分で読んでいた気がする。
再読したいま、丑松の父親、「隠せ」と戒めた側の気持ちで
読んでいた。
被差別部落”を恥じて隠せと言っているのだろうと学生時代は読んだけれど
親になった今、
ちょっとでもこどもが楽に人生を生きれるようにという思いで
「隠せ」と戒めたのではなかろうか、と思った。

巷には10代で読んでおくべき本と呼ばれるがあふれているけれど、
私はこの『破戒』をこどもたちが高校生になったら奨めたい。
最近の作家で、こういう社会問題を取り上げている人はいない、
そういう意味でも唯一無二の作品だと思う。