ショコラ日和

海外文通を通して、世界の友達と井戸端会議しています。

お母さんも頑張ってる

結構、燃えている『あたしおかあさんだから』、

5時に起きてないし、
朝は起きられなくて子どもたちに「6時半!起きて!」と
起こされているけれど、
「いろいろ雑すぎるわ!」と花子に批判的に言われるけれど
(思春期女子って、面倒くさい…と気にしてないけれど)
いろんなお母さんがいると思うので、
こういうお母さんがいても目くじら立てずとも、と思う。

バイオリンの英才教育で、こどもと二人三脚で
まさしくこどもに24時間365日費やしていたママさんを動画で見たし、
バイオリンに限らず、ピアノやチェロでも
そんなママさんは本当に五万といる。
一方で子どもの教育に燃えている教育ママも星の数ほどいて、
私は彼女たちをすごいなぁ~と尊敬してしまう。

おかあさんだけれど、たまには自分の時間が欲しいし、
たまには一人でふら~っとお買い物にも旅行にも行きたい。
私の時間はかなり家事に使われ、こどもの勉強に使われ、
仕事に使われ…
それをすべて「わたし、おかあさんだから」でまとめられず
本当はもっと別にやりたいことあるのに~!と思ってしまう。
そして、私の場合は口にする。
「限りあるお母さんのエネルギーと時間を無駄に費やさないように
みなさん、それぞれ頭を使って効率的に動いてください」と、
こどもたちにも小さいころからそれこそ口を酸っぱくして言い、
耳にタコもイカもできているとよくこどもにも言われる。

『あたしおかあさんだから』のお母さんは、
おかあさんということで、いろいろとあきらめてしまったような
お母さんに聞こえるけれど、
現実のお母さんたち、結構、自分の人生をたくましく生きている。

お母さんになっても、絶対にしない!!と決めていたことの一つに
「反抗期のこどもにもいつも通りに接してお弁当を作る」
という類のものがある。
「ウルセー」「ウゼー」なんて口を利く子どもにも
おかあさんはいつものように世話をする、というあれ。

しませんでした。
「そんな口を利くってことは、
立派に一人前になって自分でできるってことでしょう。」と
態度の悪い小3の息子に朝ごはん(ケロッグはテーブルの上)はご自由に、と。
水筒のお茶も自分で入れても入れなくてもいいけれど、
お母さんはしない。
登校のときにかぶっていかなければいけない帽子が
行方不明になっていたけれど、それも自分で探しなさいと通告。

小3の太郎は泣きながら探し、「登校班がもういない」とまた泣いていた。
帽子は見つからなかったけれど、帽子に遅刻する価値はないから、と
誰もいなくなった通学路を2キロ、太郎と歩いた。
絶賛反抗期で口答えばかりする太郎、
いろいろと話し、無駄なエネルギーを使うことはお互いにやめよう、と。
太郎はさっさと動くことを、私もさっさと手伝うことを約束した。
小学校の門のところで先生が立っていた。
「帽子を探していて遅くなりました」と理由を述べて校門へ入っていった。
そして私はまた2キロの道のりを歩く…。
水筒のお茶も太郎が帽子を探している間に結局、詰め替えたし、
私もまだまだ甘かった…と思いながら。

おかあさんになって、知ったことがいくつかあるけれど、
一番、びっくりしたことは「怒ると疲れる」ということ。
だから、みんなできたら怒りたくない無関心主義になるのか~と
妙に納得した。
でも、自分のこどもは怒る。
そして、毎回、一人反省会で自己嫌悪する。
誰からも評価されなければ、お金ももらえないお母さんっていう仕事、
みんなそれぞれに頑張っている。