ショコラ日和

海外文通を通して、世界の友達と井戸端会議しています。

ピアノ、ピアノ、ピアノ

ピアノの発表会が近づき、我が家もピアノを普段の2倍は弾いている。
特に打鍵の弱い小3の太郎に「最初から最後までフォルテ(強く)!」な曲を
先生により渡されてから、フォルテ!フォルテ!と力強さを太郎に求め、
いつも力強い演奏の花子は今年も
「花子ちゃんの苦手分野の女子力~」と女子力いっぱいの曲で…
先生、よく我が家のこどもたちの苦手分野をご存知で…と
泣きたくなるほど。
フォルテ!な曲をふにゃふにゃと柔らかく太郎が弾き、
女子力いっぱいの曲のハズなのに、花子はガンガン弾き、
「全然違う~!!」と私の血圧が上がる日々。
順調なのは次郎だけ。
発表会当日、花子と太郎の番のときは、トイレに籠りたい…と
本気で考えてしまうほど。

それというのも、子どもたちが通うピアノ教室の生徒さんや
先生のお弟子さん…求めるレベルの違いを目の当たりにし、
いろいろと考えた結果、ただただストレス。

例えば、今年から同じ教室で始めた花子のお友達は
いまだにキーボード。
私もキーボードでこどものときに練習していたからわかるけれど
キーボードでどれだけ弾けても、グランドピアノでは弾けない。
鍵盤が重い!

その一方で、進みも早く完璧な演奏をする子や
”生徒”というより”お弟子さん”という大人の生徒の皆さんもいる。
そして、結構、こども生徒への視線が厳しい。
去年、連弾が本番でストップした花子。
まさか!なところで、相手が止まり…連弾なので花子も止まり…
「せーの」っで、途中から弾き直した、なんてことがあった。
ピアノの先生は豪快な人なので、
「あれが本番の醍醐味よ~!ハハハ!」と笑っていたけれど、
お弟子さんたちの冷ややかな視線が…
と連弾した相手のママに言われた。
私はストップしたピアノにくぎ付けで周囲に視線を配るなんて余裕は
全くなかった。ピアノが止まった瞬間、私の心臓も止まるかと思った。

本番で聴かせるレベルまで達していなかったといわれれば
それは確かにそうだったのかもしれないけれど、
あれでもほぼ2時間のピアノ練習(連弾以外の曲もあったので)
をほぼ2か月やって…
音大やプロにさせたい!とピアノを始めたのではなく、
音楽が寄り添う人生って素敵だな~、そうあってほしいなぁ~と
人生のパートナーとしての音楽、という位置づけでのピアノなのに
この調子で練習させたり発表会に神経を尖らせたら
ピアノが嫌いになるのも時間の問題のように思えてきた。

ピアノに時間とエネルギーをとられすぎて、
なんだか私がしんどくなってきた。
そんな時、近所のピアノ弾きのおばちゃんに
最近、散歩をしていたら聞こえたという花子が練習している曲名を聞かれた。
発表会用の曲で…と曲名と作曲者を教えた。
後日、そのおばちゃんから
「素敵な曲だったから楽譜買って練習してるの~」と。
実は、同じことを隣家のおばちゃんにも言われた。
隣家のおばちゃんは「左右の手が交差するところがきついのは年かしら。」と。
そんな話をピアノの先生にしたところ、
「花子ちゃんはおとなしそうで穏やかそうなのに
ピアノを弾くと全然違うって、ファンがいるのよ~」と言われた。
ピアノを弾くと、激情型なんです…なぜか。

教本が進まない、求められる完成度までたどり着けない等
いろいろとあり、先生に相談したこともある。
音大を出て、いまでもピアノリサイタルをしている先生は
「ピアノってマラソンだと思うわ。
何歳でどこまで教本が進んだかではないのよ。
どのくらいピアノを続けられたかなのよ。」と。

2時間切る市民マラソンランナーにもなれそうにない我が家のこどもたち、
ゴールのない完走を目指して、亀の歩みでピアノと共に
人生を歩んでほしいなぁと改めて思った。