ショコラ日和

海外文通を通して、世界の友達と井戸端会議しています。

ピアノと映画

発表会が近づきピアノにきりきり舞い中の我が家、
いろいろ混乱中。

発表会の曲は順調に仕上がり…と言いたいところだけれど、
完成!完璧!だったはずの花子がここにきて崩れてきて
日によって「ブラボー!!」と言いたくなるほど完璧だったり、
「寝落ちする寸前?」という遅さだったり、
「全部忘れた?」と聞きたくなるほどミスが多かったり、
発表会が近づいてますけど~!!と焦る私に
「人間が弾く限りイチかバチかよ!
完璧な演奏が聴きたいなら、CD流せばええんや!」
と花子が啖呵を切っていた…。

太郎は現在ほぼ完璧に仕上がっているけれど、
とーっても緊張に弱いので、練習の30%減の実力しか
本番では発揮できないことをいままでの発表会で知っている。
ここは何とか130%くらいまでに持っていきたい!
と発表会の曲の練習に余念がない。

そんな中、まずいことが起きた。
次郎のバイエルが発表会の曲だけ太郎が弾いている間に
あれよあれよと進み、
リズムが変わったり、ドからソまでだったのにシがでてきたり、と
みんなが3週間くらいは止まるわよ~の曲も1週間で合格し、
いまのところ苦手分野はないのか?!という勢いで進んでいる。

次郎のピアノ上達ぶりは純粋にうれしい!
花子や太郎は片手ずつ練習したり、
この音は何?と聞いていたのに、
次郎はすでに楽譜も読め、初めての曲もいきなり両手で弾く。
先生に半分ほど一緒にみてもらえば、あとは自分で完成させる。
次郎のレッスン開始は太郎より2年遅らせたのに…
まずい!太郎に追いつく!太郎が劣等感に苛まれる?と心配したり、
だからといって、いま乗りに乗っている次郎を無理やり
遅くさせてくださいというのもおかしいし…と
私の中で、一人混乱中だった。

子どもたち三人には平等に同じならいごとを
ほぼ同じ年齢スタートでさせてきたけれど、
素人の私が見ても太郎のセンスがない…。
なんせト音記号のドの位置を覚えたのが今年なんです!
ピアノ始めて4年目ですが。
それで曲を弾けるほうが寧ろすごいわ!!といつも不思議だった。

そろそろ太郎にピアノをさせる限界かもしれない、と
夫に話すと、「太郎がピアノいやなら辞めてもいい頃かも。」と言うので
太郎にピアノって、いつまで続けたい?と聞いてみた。
「大学受験まではやりたいと思ってる」と返ってきて
びっくりしつつ、ピアノ、好きだったのか!と嬉しくなった。

次郎に太郎が追い越されそうな不安をピアノの先生に話すと
次郎くんのピアノ上達のスピードは早いけれど、
太郎君は太郎くんでよいところを伸ばしていきましょう!
ということだったので、
本人はピアノが好きなので、亀の歩みでしょうが、
よろしくお願いいたします…と伝えたら、
「最後に勝つのは亀さんですよ。」と先生に言われた。

ピアノでいろいろ考えていた時、
観た映画もピアノ関係。 

 ピアニストだったシーモア先生、
舞台恐怖症のため演奏することを辞めた。
自宅や大学でピアノを生徒に教えている。
その教え方がとっても素敵だった。
穏やかな語り口でとても褒め上手。
生徒が上手に弾くと、「僕よりうまく弾くのは許せないな」と
冗談たっぷりに言って生徒を笑わせたり。

映画の中でシーモア先生が言っていた。
「ピアノの練習は学校での勉強と同じで欠かしてはいけない」と。
なんで学校に行くの?と考えることなく学校に行くように
ピアノも練習しなくてはいけない、と。

宗教と音楽の違いは救いがどこにあるか。
救いは神にあるとするのが宗教で、だから神に求める。
音楽の救いは我々の中にある、というようなことを
映画の中で言っていた。
発表会の曲にもがきながらも弾いているこどもたちを見ていると
その言葉がストンと胸に落ちた。