ショコラ日和

海外文通を通して、世界の友達と井戸端会議しています。

国際的な人


「あなたがこどものとき、海外へ連れて行ったのに
あなたは大人になってから海外へ行かず、
国際的にもならなかった。
同じく海外に子どものときから行ったあなたの妹は
その後、自分でも海外に行き、海外に住んでいるけれど。
孫は国際的にしたいの。」と母に言われた。

国際的ではない、と言われたんだけれど、
海外へ行けば国際的になれるの?
パスポートのスタンプの数で双六のように国際的な人に近づき
ゴールは国際人ってか???と
国際的ではない私はコロラド州のパルやサウスカロライナ州のパル、
ロンドンのパルに愚痴った。

”What? that is a weird thing to say
I know plenty of foreigners who go abroad and
NEVER associate with the locals,
just their own. They are not 'international'."
(なんだって?そんなこと言うのって変ね、
かなりの外国人が海外に行き、彼らだけで現地の人と付き合いうこともない。
彼らは決して”国際的”ではないよね)

"I cannot figure out why your mom would say that.
Perhaps it's because I'm American?
We think our country is the greatest,
so why would anyone want to go somewhere else."
(なんで、あなたのお母さんがそんなこと言ったのかわからないんだけれど、
多分、それは私がアメリカ人だから?
アメリカ人は自分が素晴らしい国に住んでいるって思っているから
なぜみんな別の国へ行こうとは思うのかしら。)
サウスカロライナ州のパル。
本気か?ジョークか?…結構、本気だろうなぁ…と思ったり。

”国際的な人”の基準はないけれど、母にとって私は国際的な人ではないらしい。

”I'm sorry your mother is being so difficult
but I thinks it's so refreshing that you aren't afraid to criticize her.”
(あなたのお母さんがそういう難しい人だっていうのは残念だけれど、
あなたがお母さんを批判することを恐れないことは目新しいわ。)
サウスカロライナ州のパルがメールに書いていた。
彼女は東洋のパルたちが数人いたらしいけれど、
東洋の人たちって、親を批判しないし、”善い人は良い親から”という
発想のようで、母親を批判する私は悪人だし、
悪い母親を持つ私も悪人になるようで、付き合いが続かなかった、と。
親は選べないのに?!
儒教の教えが行き届いたちゃんとした東洋の人はそうなのか?!と驚く。
友達などと付き合う、というときはassociate withを使うことを学ぶ。

”You're a great mom and you don't need her seal of approval. ”
seal of approval:太鼓判、お墨付き
(あなたは素晴らしい母親で、あなたは母親のお墨付きをもらう必要はないのよ)
サウスカロライナ州のパルがメールに書いていた。
彼女の母親も…ぴーぴーぴーと自主規制が入りそうで、
私たちはよく愚痴りあう。”夫”のことではなく、”母親”について。
彼女の私への言葉はすべて、彼女自身が言ってほしいことばなのだと思う。
「あなたも母親からのお墨付きをもらわなくてもいいのよ。
私があなたはちゃんとした母親だってお墨付きをあげるわ!」と
私も彼女に返信。

私の母は私は英語ができない、と思っているんだった。
母の言う英語ができる、は英検やTOEICを取ることなので、
それらに興味がない私が”英語学習に興味がない”上に
日本から出ないので”国際的ではない”と。
そして、そんな私が育てたらこどもたちまで国際的ではなくなる!と
祖母として危惧しているらしい。

花子の年齢の時には、私は海外に複数回行っていたけれど、
そこで現地の人と会話する英語力もコミニケーション力もなかった。
ロンドンのパルにも英語やスペイン語フィンランド語や日本語や知っている限りの言語で
自然に会話していく我が家のこどもたち、
絶対に言語が違うインド人やイラン人、アルジェリア人にドバイ人とも
英語と日本語とスペイン語(といっても、スペイン語は挨拶だけ)で
会話をしようとして、そして通じないことを知ったり…
こども時代の私より我が家のこどもたちはよっぽど世界を知っていると思う。

アルジェリアのパルがいつもかぶっているヒジャブについて聞かれ
花子に宗教上の理由からだと説明したら、
「じゃあ、私も彼女と話すときは頭になんか布被る?」と聞いてきた。
他の文化を理解し、敬意を払う、そういう人が”国際的なんだと
私は思う。 

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