ショコラ日和

海外文通を通して、世界の友達と井戸端会議しています。

それぞれの成長

最近、意外に思ったこどもたちの性格がある。
まず花子が結構、先生の言いなり。
”言いなり”という表現はよろしくないかもしれない。
なにかあると、まず「先生に聞いてみる。」と言う。
それが本当の本当に些細なことで、
例えば先日は「セーターの色」。
寒くなってきて、花子が風邪をひいたので
制服の下に着る紺色とグレーセーターを私が買ってきた。
ユニクロで無地のVネックセーター。
学校に着ていけるように、と。
そのときはまだ学校から冬服に関するお便りが一切なく、
花子のセリフが「先生に聞いてみてから着る。」

もしも-し?
そのくらいのことも13歳なのに自分で考えることはできませんか?
寧ろ、先生が「それはダメだ」というだろう理由があるなら言ってみて、と
花子に話すと、「学校からセーターに関するお知らせが出ていない」と
ダメな理由として言い出して、花子のマニュアル人間っぷりに夫と絶句した。

「お知らせが出ていないってことは、逆にいまなら
なんでも着ていいってことちゃう?」と私が聞くと、
「いや、学校にふさわしい服装でしょ。」と花子。
それならこの紺色と灰色の無地で十分でしょ、と話したものの、
先生に何か言われたら?となおも心配する花子。
くどいようだけれど、無地の紺と灰色のセーターですけれど!と思いつつ、
先生に怒られたり、なにか言われたら、
「次から気を付けます!明日からそうします。」で十分、と話した。
「そういうプリントが出るのが遅かったので、
自己判断しました。」と一言ちくっとかわいく言ってもいいくらい。

ほかにも学校で提出する必要がある”自習ノート”にプリントを貼って
問題を書く時間を削減しようと提案したら、「先生に聞いてみる」と。
なんで?と私が聞くと、
「だめかもしれないから。」と。
いやいや、なんでダメかもしれないと思うの?
なんのための”自習ノート”か考えてみてよ。
「勉強すればいい」んでしょ、「学力を上げよう」が目的で
そこに至る手段はどうでもいいと思う。
ペンで書こうと、鉛筆で書こうと、プリントを貼ろうと…。
そもそもの目的を思い出して、そこから外れてないなら問題ないでしょ、
と花子に話したけれど、花子はとても不安だったようで
「先生に何も言われなかった」と翌日、教えてくれた。
先生がそれを何か言ったら逆に私がびっくりですけれど。

そんな花子の横で、小5の太郎は最近、批判的な視線を先生や
学校に投げかけていることが増えた。
「先生のあの言い方は僕は問題があったと思う。」
「あれは意味ないと思う。もっと他にやり方があるんじゃないか。」とか
「先生のあの発言はどうなんだろう。」と疑問に思い、
意見を言ったり、私や夫の意見を求めてきたりして成長を感じる。

そんな姉と兄の横で、小3の末っ子、次郎は電卓を叩く日々です。
「サンタさんの予算をお母さんメールして聞いて」と先日も言われた。
全世界のこどもにプレゼントを配るのよ。
予算なんて低いわよ~と話したところ、次郎は「自分で調べる」と
いろいろと調べていた。
プレゼントを4つほど欲しいそうで…
これはAmazonが最安値だから、Amazonで、
これはヨドバシが最安値。
これはトイザらスで…と、サンタさんにお店のハシゴさせる気だった。
その発想はなかった…。