ショコラ日和

海外文通を通して、世界の友達と井戸端会議しています。

中国のお姉さん

母が反日デモ真っ最中に中国に仕事で行った。
北のほうだから大丈夫らしい、という情報をもとに…。
行ったら、全然大丈夫じゃなかったらしく、ホテルも怖いから、と
知り合いの中国人の家にいたらしい。

そこは、私が”中国のお姉さん”と呼んでいる人の家。
彼女は10年ほど前に彼女の夫の仕事の都合で一家で来日したとき、
日本語ができない彼女に「うちの娘が中国語ができるし、
お互いにいい勉強になるだろうから。」と母が引き合わせた。
初対面のとき、母と彼女の夫と4人で会った。
彼女の夫は日本語に堪能で、「二人とも頑張って!」と言って
5分もしない間に母も彼女の夫も去り、私たち二人呆然。

英語も日本語も全くできない彼女と
中国語ができる、というレベルでは全くない私と置いてきぼり。
「こんにちは」や挨拶以外知りませんけど…。
「これは、あなたの本ですか?」とかしか言えないのに
どうやって意思疎通をしろと?と二人で途方に暮れた。

とりあえず、私の家へ行こう、と彼女に言われ、
ついて行ったら、しばらくして彼女の息子が帰宅。
日本の小学校に行って二日目か三日目で日本語が全くわからないのに
宿題が出た!どうしよう!と。
中国語で息子くんがお母さんに言い、私は彼の連絡帳や彼の話から
作文が出たことを推測。
しかも、それが「日本と中国の違いに驚いたこと」という
日本語が全くできない彼にどんだけ高いハードル?!という
日本語の作文。

「できるわけないじゃん!!」と彼女と私で散々、言い合いつつ
(多分、二人ともそういうことを言っているとお互いに想像)
三人で宿題に取り掛かった。
まず、息子くんに彼女が日本の学校で驚いたことや中国との違いを聞き、
息子くんと彼女が私に漢字やら絵やら身振り手振りで説明。
私が日本語に作文して、それを息子くんが書き写した。
4時間くらいかかったけれども、終わったときには言葉の壁はない!
というくらいに打ち解けあい、自然と息子くんは私をお姉ちゃんと呼び、
私はお姉さんと彼のお母さんを呼ぶようになっていた。

この作文、大層、立派な出来で、
(作文したのは大学生ですから、当然。。。)
その後、クラスで発表(音読)してくれ、という話しになる。
ということで、またまた私と三人で日本語の音読練習。
私と彼が音読している間にお姉さんがご飯を作っていて、私も
ご飯をいただいて帰る、図々しくも中国の家庭料理を堪能しました。

彼の音読が担任やクラスのみんなの予想外に上手だったらしく、
なんと、彼はその後、全校集会で発表して、クラスだよりに載ったのよ~
と一家でとても喜んでいた。
大学の夏休み終了とともに私も会えなくなり、次の休みに会ったら
息子くんが立派な日本語どころか方言べらべらになり、
どこからどうみても日本のやんちゃな男の子になっていてびっくりした。
私の日本語が通じないときに両親に通訳したり、
細かいニュアンスの日本語も中国語も上手に訳すので、
「ほぉ~」とみんなで感心。
「これは中国語でどういうの?」「日本語でどういうの?」と質問攻め。
「おれ、ゲームしたいんやけど。」って言われました、
さすが現代っ子!

中国に帰りたくない!と言っていた彼が家族で帰国して7年。
いまや彼は大学生になっている。
母に「めいちゃんはどうしてる?」と日本語で聞いたらしい。
日本語、まだ覚えていたよ~と母が言っていた。
お土産を母は預かったらしい。なんだろう~と楽しみ。


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