ショコラ日和

海外文通を通して、世界の友達と井戸端会議しています。

沈黙するとき

スウェーデンのパルとフェイスブックの話になった。
彼が私にフェイスブックをしているか?と聞くので、
「登録しているけれど、使ってない。」と答えたら、
彼にとってはスカイプがそれだったようで、
スカイプのIDはあるけれども、使ってない。」と。

私は携帯電話をいろんな人に見せているようなフェイスブックが嫌いで、
と言ったところ、彼はスカイプでチャットをすると必ず会いたいと
言われることが嫌らしい。
えっ?!まさかのモテ自慢?(・・・彼、ゲイですけど。)
と思ったら、そうではなくて、どこから入手したのか
アフリカ人の多くの女性たちからチャットを誘われるらしい。
「それは、あなたがモテているんじゃなくて、
あなたのお金がモテているのよ、ハハハ~」と言ったところ、
アフリカの人たちはヨーロッパの人はみんなアフリカ人よりは
お金持ちだと信じているんだ、という話しになった。

彼は知的な部類に入るのだとは思うし、私と彼はお互いに
外国語という英語を使っているという問題もあるけれども、
それでも、その言い方はと~っても引っかかった。

私もオーストラリア、アメリカ、イギリスから、山のように
(といっても30通ほど)住み込みベビーシッターになりませんか?と
勧誘メールを送りつけられ、
「なんて失礼なの!バカヤロー!!」と思っても、叫んだとしても、
だからといって、「アメリカ人、オーストラリア人、イギリス人って、
本当に失礼な人たちなんだ。」とは思わない。
(パルにあなたの同国から、こんなメールもらったんだけれど!!と
愚痴メールをして、許せないわ!失礼すぎ!と非難轟々のメールを
もらい、溜飲を下げてました。)
私に失礼千万なメールを送りつけてきた人がどこの国でも
1%にも満たない人数だとわかっているし、
同じ国でも、素敵な人がいることはパルたちが証明してくれている。
彼もきっとアフリカの友人ができれば、思いも変わるんだろうなと
思ったり。

大学で哲学の講義をとったときに聞いた格言を思い出した。
「語りえぬものについては、沈黙しなければならない。」
ソクラテスだと思っていたら、ウィットゲンシュタインでした。
ウィットゲンシュタインって、誰だっけ?という忘却の彼方ですが、
本当はこの一言で数ページ書けるほどに奥が深い哲学的な言葉で、
(本すら出ているほど)
考えていることと言語化できることとは違い、
言語化できたからといって、わかっているわけではない、と。
ウィットゲンシュタインはわかることと、わからないことの境界線を
考え続けた人、という捉え方でよかったハズ。
私は、「中途半端にしゃべるなってことね」と拡大?縮小?屈折?
解釈を大学時代にしたのですが、彼の話を聞き、
この格言を思い出した。ほぼ10年ぶりに。

アフリカを語るほどアフリカを知らない。
日本を語るほどに日本を知っているとも言えない私。
ウィットゲンシュタインの言葉、深いなぁ。


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