7月19日の新聞記事の切り抜きを手帳に挟んでいる。
ドキュメンタリー映画「ひろしま」を監督したアメリカ人、
リンダ・ホーグランドさんの記事。
宣教師の娘として京都で生まれ、山口、愛媛で地元の小中学校に通った。
10歳の時、アメリカが日本に原爆を落としたことを教わった。
クラス中の目が一斉に自分に向き、
「アメリカの戦争責任を背負わされた」瞬間だった、と。
17歳でアメリカに戻るものの、「精神的には帰国できなかった」。
アメリカは正義の味方という「神話」を信じることができなかった、と。
戦争は国と国の問題なのに、10歳の子が抱えるにしては
なんて大きな問題を自分の問題としてしまったのだろうか、と
彼女の子ども時代に思いを馳せた。
彼女は多分、いまもアメリカには「精神的に帰国」できていないまま
なのだろうなぁと推察する。
彼女に限らず、私のパルたちの中にも移民の2世や国際結婚をして
違う国籍を取得した人がいるけれど、
「どこの国にも属していない気分」とよく聞く。
アイデンティティを見失ってしまっているのだ。
高校時代、英語の教科書にでてきたidentityという言葉を同一性、
なんていう意味不明な日本語のまま訳し、
「日本語には訳しにくい言葉だけれど、これからますます重要になる単語」と
英語の先生が言っていた。
アイデンティティ、いまだに日本語に訳せないままです。
アイデンティティを失う=根なし草になる、といえるかな?
北欧でもいま移民の暴動で荒れている。
自己を確立することは難しいことなのかしら。
古い故郷を捨て、新しい自己を確立してほしい、と思うのは
私が生まれながらの日本人で外に出てないからなのかしら。