オランダのパルから安否確認をしてほしいと言われた。
東日本大震災以降、連絡が取れなくなった彼女の日本人文通相手。
住所は”宮城県”。
震災後、避難した人もいるし、遠くへ行った人もいる、
或いは、彼女が亡くなっているかもしれない、という話をした。
東日本大震災で亡くなった人の名簿がネットで見れることを伝えた。
ただ、日本語なので、名前を教えてくれたら確認してみる、
と前回の手紙で伝えたところ、彼女の手紙の中で名前があった。
彼女の名前で名簿を探そうとして、名簿があいうえお順ではないことを知る。
市別だったり、順不同だったり、現場の混乱ぶりがいまでもありありとわかる。
とりあえず、と作られた名簿。
その名前の量の多さに圧倒されるけれど、
ひとりひとりにあった人生が一瞬で亡くなった。
高齢者もいれば、0歳、2歳といった子どもの名前もある。
一家の名前が延々と続いていたかと思うと、
子どもだけの名前があったり、
名簿を見るだけで、こんなにいたたまれない気持ちになるなんて
思いもしなかった。
オランダのパルがくれた情報、県名と女性の名前だけでは
膨大すぎて全く探しだせそうにもなかった。
市名や町名、それにその女性の年齢も教えて、と手紙を書こうと思う。
私が見た名簿は”3月18日分”とされていた。
小さい子供の名前の数々に、これから続いたであろう人生を想像し、
涙が止まらなくなった。