先日、仕事関係の知り合いの奥さんのお葬式に参列した。
60代後半と年齢的には若かったものの、
参列者はご主人の仕事関係の人たちと親戚だろうと思いながら
行ってみると、そこには友だち、友だち、お弟子さん、と
彼女の人生の縮図がそこにはあった。
私のように付き合いで出席している人のほうが少ないような
とても珍しい、それでいて、
なんだか羨ましくなるような告別式だった。
故人は普通に子育てと仕事をこなし、ハイキングや山登りに
50代で目覚め、英語を学び、それでいて実は茶道の師範。
お弟子さんもいれば英語スクールの友だちもいて、
山登りで知り合った人たちもいて…
みな、それぞれに突然の訃報に驚いていたけれど、
共通の友だちを囲んで、彼女のドジを思い出して笑ったり、
彼女の話をしていた。
それはとても素敵な告別式で、もし、私だったら…と
想像してしまった。
仲良しの友達は日本よりも海外に多い気がする。
そんなパルたちに「お葬式に来て!」というのも変な話。
本人は死んでいるのに死に顔を見に日本へっていうような
お金持ちのパルがいたかしら。
逆に私もパルたちの訃報を受け取ったとして、
お葬式で初対面なんてことをしたいとは思わない。
「死期を悟ることや告知されることがあれば別だけれど、
突然のときは、全部終わってから友だちに伝えて」と
いつものように夫に頼んだら、
「いや、メイさん死んでいるから、文句言われへんで。」
と返ってきた。
枕元に立って、夜な夜な愚痴ってやる~!というのが精一杯。
いつ、死がくるかもしれないから、彼女のように
パワフルにリア充するぞ!と決意を新たにした告別式だった。
SNSやフェイスブックで楽しんでいる写真をアップするのを
リア充って呼ぶらしいけれど、
本当のリア充って、これよ…と思った。