ショコラ日和

海外文通を通して、世界の友達と井戸端会議しています。

新しく始める!

もうすぐ9月、新学期!!ということで、私も新しく始めることにした。
ペン習字。
あれ?もうやってるでしょ?と思ってくれるような
私のペン習字歴に詳しい人はいないだろうと思うので説明。

今年の12月で2年になる日ペンの競書誌『ペンの光』で
1年半ほどしてみた。
そして最近、「私に合わない気がする」と思い出した。
「字が上手くなった!」と家族や友人に言われるようになったので、
少しは、ほーんの少しは成長しているらしい。
以前に比べて字を丁寧に書く時間が増えたことと
美しい字がどういうものかを脳が少し覚えたということで、
習ってない字は元の木阿弥になる。

このペン習字、規定部の練習を主にしてきたというのに
進まなくなった、昇級しない。競書を提出している人の中で
下手だっていうことを意味するだけなのだけれど、
昇級に一喜一憂するだけになってきて、
どうすれば昇級するかと昇級のための練習になってきて
なんだかイヤになってきた。

あれ?私って、昇級のためにペン習字始めたんだっけ?と。
そして、思い出したのは”英語”。
学生時代の得意科目で勉強するのも楽しかった英語、
勉強してても楽しい!と思えていたものが点数のための勉強を
始めたとき、途端に面白くなくなった。
高校時代は英語のテストに一喜一憂した、
私の勉強時間が点数につながったか。
点数につながる勉強を!となり、それが面白くなかった。
趣味で文通を始めるとき、「英語のテストは受けない!」と
決めた。(何度も揺らぐけれど)
もう点数のための勉強はしたくない。
本当に自分がしたいからする、自分のための勉強なのだから、と。

そして、ペン習字もレベル判定を競書の中でしてもらうのを
やめよう!と日ペンを辞めて、教室に通おう!と探した。
私が求めるものは、練習と添削の繰り返しのみ!
しかし、大人になってペン習字を始めるのはむずかしい。
通う場所や頻度、料金云々もあるけれど、
「あぁ…この”た”は私は好きじゃない」とか
「こういう”な”って、嫌い~」とか
字の好みが出てくる。
変な”た”だな…と思いながら練習するのもイヤ。
もう月謝が高くても私の好きな字を書きたい!となり、
以前から好きだった流派にすることにした。
競書なし!
夫に「前から好きだった字の先生に習おうと思う」と
一応、相談したら、「○○先生?」と夫も覚えていた。
そうだ、日ペンを習い始めたのも字が近い!と思ったからだった。

英語と同じように自分のために点数や級位にとらわれることなく
のーんびり長い目でやっていこうと思う。