ショコラ日和

海外文通を通して、世界の友達と井戸端会議しています。

習い事と孟母断機

アメリカのパルから、「バイオリンのレッスンを始めたわ!」
というメールがきた。
彼女は子どものときに習っていたバイオリンを再開させたらしい。
「新しいバイオリンを買ったのよ!」と。
(バイオリンは手や腕に合わせて買い替えが必要なためかと)

子どもの頃にバイオリンをやっていた、という海外のパルたち、
意外に多い。
ポーランドのパルも「こどものときにバイオリンをやっていた」と
言っていた。

友人たちが”子どものときの習い事を再開する”という話を聞くと、
なんだかとても嬉しくなるし、きっと立派な”先生”にこどものときに
教えてもらっていたんだろうな、と思う。
「またやりたい!」「楽しかった!」という記憶を植え付けた、
というだけで偉業だと思う。

子どもの頃、とてもピアノが上手だった友人は
「ピアノの練習がイヤで、先生が手を叩くのも怖くて、
ピアノ大嫌い!」と大人になって言っていた。
そのときだけ、瞬間的な上達にとらわれてしまった結果で、
とても寂しい気がする。

先日、娘と同じピアノ教室の子が「ピアノを辞めようかと思う」と
考えていることをそのこのママさんから聞いた。
ピアノは好きだけれど…練習がしんどい、と。
いままでの練習を思うと「もったいない!」という思いが先にたつ。

ピアノだけではないだろうけれど、楽器の練習って地味で退屈。
一曲合格すれば、また譜読みから始めて、リズムがとれない、
指が回らない、と四苦八苦する羽目になり、
達成感を得られることは滅多にない。
我が家のこどもたちも何度も「ピアノ辞めたい。」と言った。
練習が嫌い、面倒くさい、という理由だけれど
「これやって、人生で何の役に立つの?」と何度聞かれたか。

その度に孟母断機を思い出す。
勉強を途中でやめるということは、こういうことよ!と、
孟子の母が編んでいたものを切った、というあの話。
子ども時代は、「激しいお母さんがいて、孟子も大変だったのね~」
と思っていたけれど、親になって気づいた。
「孟母、すごい!」
私も何か孟母断機のようなものを…
例えば、書きかけの手紙を破ってみる、
ちくちくと数日かけて刺している刺し子を切ってみる、
完成したジグソーパズルを壊してみる、
どれもこれもかけてきた労力を思うとできない。

我が家の花子、ピアノを習い続け(私の妊娠、出産でお休みしつつ)
7年目がやってくる。
今年に入って、花子の友達関係で3人、
ピアノを同じ先生に習い始めた。
「花子ちゃんのおかげだわ~」と先生は喜んでいたけれど、
小さな頃から、楽しく!笑い転げながらピアノのレッスンをしてもらって
ありがたいな~と思った。
前回のレッスンも力強い打鍵でガンガン弾く花子に、
「”ドルチェ”(甘く)って書いてあるんですけど!」
「”ピアニッシモ”(極めて弱く)なの!」と
全く違う曲が出来上がっていて先生はゼーゼー言っていた。

今年中にこの曲を弾きたい!といったきちんとした目標はないけれど、
毎年、花子は先生により目標をいわれている。
「花子ちゃん、今年こそ女子力アップね!」と。
・・・それ、ピアノで上がるものなのかしら、と思いつつ、
「今年の発表会のテーマは”女子力アップ”だから。」と
例年と同じように言われた。

 


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