ショコラ日和

海外文通を通して、世界の友達と井戸端会議しています。

佐藤ママに共感する

尾木ママと佐藤ママの教育激論をYoutubeで見ていて、
私…佐藤ママの理論、すごい共感できる!!とショックを受けてしまった。
尾木ママに偏差値を重視しすぎるといわれていたけれど、
私も夫に「数字にでないとだめなのか」とよく言われるんだわ~と
反省。
文学部卒の私が数値にすべてがあらわれると期待し、
理系の夫が数字では表せないものがあるというのも
面白いなぁと毎回思う。

佐藤ママのどんなところに共感できるか、
例えば、「こどもが勉強しない」どうしたらいい?に
尾木ママは「一人でやれるようにアドバイスする」、
佐藤ママは「一緒に勉強する」。
私は断然、佐藤ママ。よく「勉強しなさい」というママが問題になるけれど、
子どもにだけ勉強させるから子どもがいやがる。
「一緒に勉強しよう」とか
「さぁ、勉強するぞ!」と私はこどもと一緒に勉強する。
もちろん、嫌がられるけれど。

そうすると必ず、「もう難しすぎて、こどもの勉強がわからない」と
いう人がいる。
それは数Ⅲ?化学?物理?と聞き返したくなる。
中学生までの内容なら一度やっているんだから、わかるはずだし
わからないなら、それこそわかりやすい参考書を買うなりして
親が勉強して、その姿勢をこどもに見せることが大事なんじゃないの?と。
私はすでに算数のセンスがないことが花子や次郎にバレてきているので
単元を花子より先に予習。
問題集は一度、頭の中で解いてみる。
できない問題は数学の得意な夫から解説を受けておく…のが私流。

算数などきっちり答えのでてくる問題はまだ教えるのも楽。
問題は社会や理科などでこどもからでてくる疑問に答えること。
「先生に聞いたけれど、わからないって~」という質問、
結構、多い。
先生に質問すると「ちょっとカンニングさせて~!」と先生が
スマホで調べることも多いらしい…ありか?それはありか?と
聞くたびに複雑な気持ちにさせられる。
まずは、スマホの前に図書室にでも誘導してほしかった…。
社会や理科の疑問には我が家では”仮説を立てる”ということになっている。
家族みんなで仮説を立て、それぞれにその仮説を証明するための本を
探したり、ネットで調べる。
その議論がとても楽しくて、それが勉強の醍醐味だと子どもたちに言っている。

勉強は先手必勝で、予習がすごく大事だと我が家のこどもたちを
見ていると思う。
小学校の勉強も1つ前の単元を予習するだけで全然、違う。
1回でわからないことも2回聞けば、さすがにわかる。
わかる!簡単!と思いながらテストで高得点がとれると、
「もしかして、私、勉強できるかも!」と勘違いする。
でも、この成功体験による勘違いの積み重ねが
とても大事なのだと思う。
我が家の子どもたち、多分、みんな「勉強できる」と勘違いしている。


先日、読んだ教育関係の本で知り、ずっと引っかかっているのが
テセウスの船”。
テセウスアテネの若者とともに帰還した船には30本の櫂があり、
アテネの人々はこれを保存した。その後、朽ちた木材を徐々に新しくし、
すべてが新しい木材に変わったとき、これはテセウスの船と呼べるのか。
それは同じ船だともいえ、別のものともいえる。
教育関連の本の中で、その著者は子育ても同じで、
学校、塾、習い事と親ではなくほかの人たちから学んだ子どもは
果たして自分のこどもといえるのか?
そこに自分の思想や信条は受け継がれているのか?と。
こどもと親はそもそも別人格だとしても、とても興味深い指摘だと思った。