ショコラ日和

海外文通を通して、世界の友達と井戸端会議しています。

台風と

祖父が亡くなったと父からメールがあった。

学校へ行きかけていたこどもたちにストップをかけ、

お通夜やお葬式へ行く準備をした。

祖父のお通夜会場には父の言葉から葬儀社の人が作った生前の祖父の紹介があった。

 

妻を愛し、スポーツを愛し、海外旅行は東南アジアを好んだ、と。

わが家のこどもたち、「誰のこと?」と笑っていた。妻を愛し…というほど祖母とも仲良しでもなかったっけ。多分、迎えには来てくれてないだろうとお通夜で言い合った。

 

私にとっての祖父は、とても新しい人だった。親戚の中でも女子が遠くの大学にいったことはなく、そのことへの批判の声が私の耳に入った 。祖父に話すと「タリバンか!!」と笑った。教育は荷にならないと語った。

 

新しい音楽も大好きで、洋楽もよく聴いていた。祖父のお通夜には祖父の好きだった高橋真梨子のアルバムを持参し、流してもらった。祖父の運転する車では必ず流れていた。お通夜に桃色吐息が流れて笑ってしまったけれど、参列した人が口々に高橋真梨子が好きだったよねーと祖父を思い出した。お葬式はこれまた大量にCDがあったビートルズを流す予定。「おじいちゃんは夏はハワイアンだったよ」と毎年夏にはハワイアンを大音量で聴いていた曽祖父をわが家のこどもたちは言い、一緒にハワイアンのCDをいくつか聞いたけれど、さすがにお葬式には…という結論に小学生が至っていた。意外に常識的な判断にびっくり。

入院していたとき、お見舞いにきてくれた親戚に「痛いんじゃ!!」と一喝したらしい。

「若いときの気性の激しさが戻っていて、

これはまだまだ元気だわ。」と思ったのに、

と言う祖父の弟の発言に私一人驚いた。

祖父はいつも「めいさん」とさんづけで私を呼んだ。いつも穏やかだったけれど、

ここ1年ほどは初期の認知症だったろうと思う、

感情の起伏が激しかった。

それでも常に私を「めいさん」と呼んでいた。

最後の最後まで在宅を望み、デイケアショートステイも「年寄りとは違う」と拒んだ。

92歳より上の年寄りは滅多にデイケアにいないと思うよと祖父にみんなで言ってよく笑った。「年寄り扱いするな」とよく言い、

近所の人を「あそこのじいさん」と呼ぶ。

祖父が"じいさん"と呼ぶ人のほうが祖父より5つ6つ若かったけれど…。

台風の中、お葬式は決行される!