ショコラ日和

海外文通を通して、世界の友達と井戸端会議しています。

diversityとvariation


ダイバーシティって、これか…」と毎回、学校に関することでは
思わされる。
diversity:多様性

太郎のクラスが学級崩壊から初期のいじめに発展している。

現状をどこまで学校が知っているのか
ついほかのママさんと学校訪問してしまった私。
あくまでも、「現状を知ってほしい」という思いと
できれば対策を…でしたが、学校はなにか対策はとるけれど
それを文書で配布するかどうかは未定、保護者に知らせるかも未定。
つまり、現状を知っている保護者と知らない保護者のまま…。

私たち保護者にできることって、なんだろう…となったとき、
とりあえず、仲良しのママさんとは情報共有して、
自分のこどもをきちんとする、
そこから波及効果でクラスが安定することを期待するというもの。

「そんなの意味ないじゃん!」と思った。
でも、結構、意味あったかもしれないといまは思う。
例えば、傍観していたうちの太郎には
「それはいじめ参加と一緒!おかしいという声を上げなさい。
いじめを止めなさい。」と言った翌日から、太郎はやっているようで
「今日は、僕はそういうのはイヤだ!と言って、いじめを止めた!」と。
どや顔で当然のことを言うことに呆れつつ、
「すごーい!!」と女優のように絶賛しておいた。

ママさんの知らないところで調子に乗っていた児童たち、
恐るべきママさんネットワークでママさんにバレた。
私からは言いにくい…というママさんには
「私からは言える!」のママさん経由で
それぞれに現状を伝えられた結果、こどもたちは
叱り飛ばされ、泣き…きっと親子でそれぞれに反省し、
児童らもママさんネットワークの怖さを思い知り、
これからはきっと良い行動をとっていくことだろう。
あの人とあの人が仲良し?!
あそことあそこがつながっているの?!
という驚きのママさんパイプラインがいくつも発見され、
結果として、クラスの半数以上のママさんが現状を共有し、
「まずは、自分のこどもをきちんと教育し直そう」となった。
クラスの半数以上の親がクラスに注視し、
その児童らが親により再教育されたら、
きっとクラスの雰囲気は変わる!と期待したい。

そのことには素直に喜びつつ、
一方で予想外の未知数の斜め上な反応もあちこちで起こっていて…
「そういう行動をするの?!」と驚くこともいっぱい。
なに、これ、ドラマだと視聴者はついていけない展開よ!
その思考回路、どこから???と謎があちこちから噴出し、
ちょっと待って、誰の行動が一般的なの?正解は何?
えっ?どこで間違えた?と私は迷路に入り込んだ気分になった。
「いまは過程よ。ゴールにさえたどり着けばいいのよ!」という
別のママさんの言葉に納得しつつ、
過程のすごさに、これドラマだよ、ドラマ。
誰も予想できない展開の上に
キャラクター濃い人が多すぎて…とほかのママさんと絶句。
とりあえず、模範解答も近道もわからない私は
「誰か台本ちょうだい!結末も教えて!」の気分。
私の立ち位置は何?!と右往左往する役になっている。

ママさんたちの思考はそれまでのバックグラウンドが
大きく影響するといままで思っていたけれど、
職歴も大きいなぁと気づいた。
”先生”をしていたママさんたちでも、
保育士、小学校教諭、中学校教諭、高校教諭ではそれぞれ考え方が結構違って、
同じ”先生”だと思っていたのに、そんなに違うの?!と驚かされたり、
業界の考え方がまた一般とはかけ離れていて理解に苦しんだり…、
こんな片田舎で、こんなに多様な価値観に出会うとは思わなかった。
それでも、それぞれのママさんが「クラスの現状を知りたい」
「学級崩壊しているクラスをなんとかしたい」と思って動いている。
diversityとvariationどちらも多様性と訳すけれど、
同一種の中の違いはvariationだと知った。

担任の先生をサポートしよう!そのためにはまずは自分の子どもから!
という保護者共通の思いがあって、
行動はそれぞれバラバラながら、思いは同じクラスの保護者、
私たちはdiversityではなく、variationが正しいのかもしれない。
しかし、担任の先生には曲解されているようで、
そこが少し悲しい。
でも、そういう思いをさせているのもクラスの荒れた雰囲気なんだろうな。