Amazonのプライムビデオでなんとなく見つけた映画、
『もうひとりの息子』。
ストーリーは”使い古された”といってもいいような
取り違えられた赤ちゃん。
アメリカのドラマでもあったし、日本の映画でもあったし、
あぁはいはい…ストーリーは読めた!と思ったけれど、
この映画は一味違う。
二人の赤ん坊、一人はイスラエルに、一人はパレスチナへ。
それは…まずいんでない?と私でも気づく。
宗教も違うし、対立している国ですけれど、と。
映画を観ている間中、これはどうやって終わらせるんだろう、
現実で解決されていないこの問題を、と気になった。
映画の中ではとても現実的な終わり方で、
寧ろ、これよりいい終わり方はなかっただろうなと思えた。
現代においても解決されていない紛争、
思いつくだけでもいくつかあるけれど、それをいまの”大人”が
解決するのは無理なのかもしれないと思った。
いろいろなことを肌で覚えている人々、そういう人たちには
なかなか解決の一歩は見いだせないのかもしれない。
でも、それがちょっと遠くに感じる若者たちは譲歩できるのかもしれない、
そんなことを映画を観ながら思った。
国際文通をしていて、「そこは…わだかまりがあったのか!」と
驚くことが今までも何度かあった。
フィンランドのパルの語るロシアだったり、
ロンドンのパルが語るフランスだったり…。
ほぼ世界の国々を巻き込んだ第二次世界大戦に至ってはもう各国、
言い分はそれぞれで、お互いに譲れないところも多々あって…
それでも私を含め海外のパルたちも「戦争に勝者はいない」と
気づける冷静さがある。
そこにはすでに”歴史”になった出来事、ということも大きいのだと思う。
こんな時代もあった、と早く歴史として振り返る時代がくることを
願わずにはいられない。