ショコラ日和

海外文通を通して、世界の友達と井戸端会議しています。

死んだ魚の目

ロンドンのパルやコロラド州のパルと最近、話したのは
死んだ魚の目について。
直訳するとdead fish eyeになるけれど、英語では言わないらしい。

中1になった花子の小学校時代、何度も参観日で死んだ魚の目ってこれか…
というのを花子の目で見た。
キラキラした好奇心いっぱいの目だったのに何も求めてない。
何も期待していませんという目。

その理由のひとつには公立小学校の学力差が私の時代よりも大きくなっていて
できるほうだった花子はひたすら待たされたことだと思う。
高学年になると本を読んで待機していいとなったらしいけれど、
低学年の間はひたすら「待っててね」と先生の声掛けがあったらしい。
ぼーーーーっと待て、と。
海外のパルたちにこの話をすると「応用授業は?応用問題は?」と聞かれる。
日本の公立小学校にはそんなものはない。

太郎は公立小学校の授業にどんぴしゃりのレベルのようで、
ちょっと簡単だけれど、楽しめる~と思っているもよう。
きっと太郎と同じレベルの子たちには公立小学校は向いている。

そして、3年生の次郎は花子よりIQが高いと思う。
二者面談で担任の先生から、「次郎くんにはいつもミニ先生として
お手伝いしてもらっています。」といわれた。
算数が得意なので、余った時間は友達に教えてもらっている、と。

二者面談でそれを聞き、「へぇ~」と帰ってきてから、
喉の小骨が取れない。
これ、スイスのパルの飛び級した娘ちゃんがやっていた”ミニ先生”だわ、
そういえば、スイスのパルはそれをとても怒っていたっけ。
パルの娘ちゃんが先生役をすることを嫌がったことも大きかったけれど
パルは飛び級の試験を受けれるように学校に要請し、
娘ちゃんは飛び級したんだっけ、と思い出した。

「次郎は現在、教えるミニ先生を嫌がっているん?」と夫に聞かれた。
いいえ、全く。
「誰かに教えることは自分がどれだけわかっているかの勉強にもなるから
教えるほうにもメリットはある。」と夫は言う。
わかってますよ、それも。

コロラド州のパルにその話をすると、アメリカでもそういうことをする
先生もいるけれど、生徒同士で教えあうって、教えられる生徒が
劣等感を感じそうで私はしたくないと言っていた。
ほぉ、なるほど、そういう考え方もあるのね。

でも、私の小骨は取れず、喉に引っかかったまま。
担任の先生にとっては、すでによくできるから”ミニ先生”と
助っ人扱いの次郎だけれど、次郎も本来は児童で教えてもらう立場で…
好奇心に目を輝かせるような授業や学校であってほしい。
学問に上限はないから、このレベルができるならもっと上を、と
やってほしいけれど…日本の公立小学校ではそうはならない。
そして、気づくと教える側に。
ミニ先生、私になんだか消化不良を残している。

dead fish(死んだ魚)を調べていたら、dead fish handshakeに出会った。
死んだ魚のような握手だそうで、ぐにゃっとした感じ?
握手にはうるさいアメリカらしい言葉だなぁと思った。
60代のアメリカのパルが以前、甥っ子の彼女がいまいちという話をしていた。
「なにがいやって、あの握手。気持ち悪かった。」と書かれていて…
握手の重要度、そんなに?!と驚いたのは覚えている。
私、握手は初心者なのでお手柔らかに…と返事を書いた。

いままで数人のパルたちと会ってきたけれど…握手したっけ?と
ふと思い出すと、毎回、ハグしていた気がする。
「きゃ~!!ついに会えた~!!」の興奮でパルたちとはハグ。
一方、パルの夫たちとは会釈。
握手って、私にはハードル高いかも…。

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