ショコラ日和

海外文通を通して、世界の友達と井戸端会議しています。

学問とゆとり

フランス語でプールの意味で「突き落とされたプールで1か月溺れず必死にもがく」と例えられる。1か月の間、100を超える課題が与えられる。例えば、アルファベットや記号が並んだプログラミング言語が一行、ヒントもなく与えられ、「それが何を意味するか」「何が問題なのか」から自分で調べるのだ。

 学問って、こういうことだよ!と思う。

私よりちょっと年下の世代から”ゆとり世代”になった。
「ゆとりって…」という話を同世代や上の世代からよく聞く。
私自身はゆとり世代と話す機会はなく…
と言いたいところだけれど、
こどもたちを担任してきてもらった先生、8割”ゆとり世代”。
私と2つ3つしか違わないほぼ同世代の先生だったり、
上の世代で私が受けたような教育をする先生だったりすると
心底ほっとする。
共有してきた時代の意味は大きいと思う。

いま中1の花子は小学生に入学したときから学習量がぐっと増えた
俗に言う”みのり世代”。
みのり世代って、結局は私の時代と同じでしょ?
学習量も想像できるわ、と思っていた。

実際は、私のときより忙しいし、
低学年から小学生なのに6時間あったりする。
あれ?私、5時間授業がほとんどだった気がする…と思ったら
私の時は土曜日、半日授業があったんだった。
授業日数は減り、同じ量の学習内容をしようとすれば
そりゃ1日の授業時間も増えるわ。

そして、いま、休校のこどもたち、ものすごくのんびりできている。
小学校から家庭学習プリントなるものが出されているけれど、
(調べ学習のプリントには祝祭日調べの中に担任の先生の誕生日も。
調べようとする息子に、それ、ググっても無理…と言ってしまった。)
提出しなくてもいいプリントがほとんど。
中学生の花子も春休みのワークが1冊出ているだけで
急な休校に間に合わなかった学校のドタバタが見える。

我が家のこどもたちは何をしているか。
新学期の予習…なわけはない。
1日1時間程度は溜め込んでいる通信学習をするようにとは言っているけれど
現在12月号をやっている、といえばどの程度やっているかもわかるはず。
「外出禁止らしいで!すごい悪いことをしている気分!」と小3の息子が
言いながら、一緒に収集所まで、ごみ捨てしたり、
こどもたちと午前中ずっとババ抜きしたり、
「そういえば、体育の時間に…」と、こどもたちの急に思い出した
思い出話を聞いたり、
いまがチャンス!とばかりに花子が化学を好きなだけやったり…。
「アルカン、アルキン、アルケン、って、なんでしょう?」と聞かれ、
「歩く、の活用形?」と答えると、花子にものすごく不満げな顔をされた。
有機化学だったらしい。
高校の時は物理と生物しか履修してないんだって!と話したり、
小学生の息子たちが思い出したように恐竜図鑑にまた夢中になったり。
すごく”ゆとり”を感じた。
きっとゆとり世代のとき、お偉い人たちが想像したのもコレだったんだと思う。
学習量を減らし、日々の生活に余裕を持たせれば、
学校の勉強だけではない、なにか夢中になれるものを見つけ、
それに邁進すること。
人間は楽な方向へつい流れる…というのを失念していたんだろうな。
もしくは、お偉い人たちは学問の楽しさを知っている人たちだからこそ
学問の楽しさを見つけない、という発想がなかったのかも。
宿題のない約1ヶ月の春休み、有意義に使いたい。