ショコラ日和

海外文通を通して、世界の友達と井戸端会議しています。

『コンビニ人間』

コンビニ人間』を読んだ。 

コンビニ人間 (文春文庫)

コンビニ人間 (文春文庫)

 

 読み始めてすぐに思った。
「あぁ、これ『文學界』の好む文章と世界観。」だと。
なんていうんだろう、純文学路線継承者?
文學界』(雑誌名)は古き良き純文学作品を好む傾向があると大学時代から
思っている。
(たまに振り切ってものすごい暴力の作品が掲載されていたりしたけれど
それでもなんだか所詮、釈迦の掌の上でやっているだけ、というような
振り切れなさが『文學界』というのが私のイメージ)

もちろん、「そもそも純文学とは?」から話し始めると、
それはもう教授たちの小言にお説教に論争に…となるので
漠然とした文学部の人たちがなんとなーく考えるような”純文学”。
その対称には”大衆文学”があるのだろうと思う。

大衆受けするものではなく、
「何言っているんだかわからないよ」と言いたくなるような、
「このメタファーに気付ける人だけわかってくれたらいいんだ」という
知識階級を満足させるような文章がふんだんにあったり、
村上春樹とか村上春樹とか村上…)
まぁ、そういうの。
そして、そういう作品こそが芥川賞を受賞し、作品としては
価値があるというお墨付きをもらう。
ただし、芥川賞受賞作品は売れない、というのも有名。
それはそうだ、大衆が理解できる作品ではない、
もっと高尚なものなのだから!と高尚な人は言う。

コンビニ人間』、コンビニの世界でこそ輝ける人、
マニュアルがあってこそ正しい言動を選択できる。
しかし、気づけばコンビニのバイト18年となり、
世間からは「結婚は?」「恋人は?」「バイトだけ?」といわれるようになる。
若い時の言い訳も通用しなくなる36歳。
そして、恋愛もどきに手を出してみるものの、
やはりコンビニの世界へと戻っていく。

一言でいえば、「病んでる」。
こんな人が周囲にいたら、それはきっと遠巻きに見る。
主人公の女性は何度も病んでいる人として周囲に扱われる。
この救われない病んでいる感、純文学作品臭がする。
読後感、サイコー!とはならない。
はぁ。。。とため息つきたくなるような。
最後は一応、ハッピーエンド。