ショコラ日和

海外文通を通して、世界の友達と井戸端会議しています。

もやもやと自由と

アメリカのミネソタ州の白人警官による黒人を圧死させた動画、
恐ろしすぎて言葉がでない。
これはもう犯罪だし、これが犯罪ではないなら
アメリカはどうなっているんだ?
40近い都市で夜間外出禁止令が出されている。
そして、デモはアメリカだけにとどまらず、オランダでも
行われたとオランダのパルが教えてくれた。
f:id:bitter-chocolate3:20200602111455j:image

www.dutchnews.nl

日本でSNSによる指殺人が問題になった。
そのことについて、うまく考えがまとまらない間に
今回のミネソタ州の事件が起き、その上にツイッター
トランプ大統領のツイートに”暴力賛辞”とラベルを
つけたこと、それに対し、Facebookはなにもしないこと…。
どうなの?それってどうなの???と考えが追い付かない。

それでも、私が一番に引っかかるのは”自由”。

ザッカーバーグCEOは「この件についての大統領の話し方には
強く異議を唱えるが、人々はこれをありのままに見ることが
できるべきだと私は思う。なぜなら権力者の説明責任はその発言が
オープンに詳しく検証されるときにのみ生じ得るものだからだ」と主張した。

トランプ大統領の投稿、警告を注記しなかった-フェイスブックCEO - Bloomberg

フェイスブックは、人々のオンライン上での発言が真実であるかどうかを判断する裁定者になるべきではない」とザッカーバーグは発言した。

ザッカーバーグがツイッターを非難、「真実の裁定者になるな」 | Forbes JAPAN(フォーブス ジャパン)

 フェイスブックの創設者でCEOのザッカーバーク氏のこの発言には
私も賛同する。
するけれど…なんだか、もやもやが残るのは私だけか?
性善説を採用する人にはいい。
理想として掲げるにもいい。
私もそれが理想だとはわかっているけれど、SNSの暴言で
自殺に追い込まれる人たちやフェイスブックなどのSNS
銃乱射から影響を受けて犯行に走る人々に対してストッパーはないのか?
と思ったりする。
(規制をしているといいつつも、NZの銃撃映像がライブ配信されたりと
すり抜けられている。)

言論の自由も選挙権も生まれた瞬間から私たちは持っているけれど、
持ってない国に住む人々もいるし、もぎ取ってきた権利の一つだと思う。
だからこそ、その上にあぐらをかいている場合ではない。

世界の問題から、日本の片田舎の小さな家庭の問題にすることに
いさかかの抵抗があるけれど、我が家の中2の花子はiPad
使用時間が長い。
iPadに制限をかけることはできる」ということは知っている。
我が家ではインターネットへの規制もかなりゆるい。
それは夫が「道具は使いよう」だと思っていて、
どう使いこなすかも含めて学習だという価値観だから。

インターネットを規制する?包丁は?カッターは?はさみは?
どこで線を引くんだ?それこそ20歳になった瞬間に道具が突然、
うまく使えるとは思えない。
失敗も含めて練習がいる。道具をどう使うかはその人次第、
というのが夫の教育論。
私は”自由”を最も大切だと思っていて、”自由に調べていい”と
いつも言っている。
ただし、そこには変な使い方をしないといった期待がもちろんあって、
自由に使うということは自分を律することでもあると
こどもたちに言っている。
自由を制限されないために、どうするかも含めて自分で考えてほしい、と。

規制はしようと思えばいくらでもできる。
テンピンもオッケーらしいし。
その中で自由にできるという意味を考えてほしい。
701年、大宝律令、日本で史上初めての本格的な律令ができた。
「日本が進化したわけではない。
法律が必要な世の中になったということだ。」と言った中学校のときの
歴史の先生の言葉が忘れられない。

その時代の人々の言動が後に歴史家や専門家によって
検証されることを望む。
その時は最善だと思ってしたことでも後に新しい事実により
失敗や間違いも判明するだろう。
それでも、その検証に耐えうるだけの文書はいると思う…。
議事録ないって…。検証する気もないんだろうなぁ。