ショコラ日和

海外文通を通して、世界の友達と井戸端会議しています。

ドア1枚の反抗期

こどもたちの年齢が上がってきて
”反抗期”の足音が近づいてきたどころか、
ドア1枚隔てたレベルになってきた。
中2の花子の友達にも「あの子、大人があいさつしても一瞥よ!」
という子もいれば、
小6の太郎の友人にも「お母さんは何もわかってない!」と
愚痴り始める子もいる。
正直、反抗期のこどもたち、自分の子以外はすごくかわいい!
それぞれが自分の意見を持ち始めているんだなぁ、と感じる。
今まで一枚のコピー用紙のような薄い自我だったのに
裏と表がきちんとできてきてそれでもまだ自我が柔らかい。
いままでと同じに大人は接していても
こどもたちはそれぞれに、「この人はこういう人」と感じ取り
行動しているのを感じる。

前出の中2の花子の友人、私の知り合いの
ほんわかママさんが「おはよう」とあいさつしたら一瞥するらしい。
「毎回な!」と、ちょっとご立腹だった。
その子、私が「おはよう」と声をかけると、
「あっ…おはようございます。」とはにかみながら挨拶する。
同一人物に思えない…とその光景をみたママ友が
「私はなめられているのか~!」と語っていた。
怒っても怖くない人と怒ったらややこしそうな人…と判別して
中学生にもなると挨拶をするわけです。

小学生はもうちょっとかわいげがあるけれど、
恥ずかしいので、挨拶をしても小さく会釈だけ、
ということが多い。
太郎の友人の絶賛反抗期の少年、挨拶もしっかりするし、
遊びに来た時にアイスをあげた(アレルギーを確認してから!)
だけでも、「ありがとうございます!」と甲子園球児か!と
言いたくなるほどの気持ちがいい挨拶。
それでも、「お母さんはわかってくれない。」
「お母さんは僕のことどうでもいいと思っているんだ…」と
最近はよく私にも愚痴る。
「そうか~、まぁ、飲んで!」と気持ちは場末のバーのママ。
すすめるのはコーラだけれど。
その少年も太郎も同じ3人兄弟の真ん中なので、
僕だけ目も手も届いてない!と思うところが同じなのか
気が合うようで、太郎たちの会話をつい
耳をそばだてて聞いてしまう。
「お母さんは忙しいだけだと思うよ。」
「どうでもいいとは思ってないと思う。」
と太郎が言っていて、わかってくれているんだなぁと思ったり。

そんな反抗期の少年、先日、お母さんと喧嘩したので、
「今日は公園で寝るわ」と遊んでいるときに太郎に言ったらしい。
公園?!
夜に公園で寝るのは心配だから、家においで!と
言いたいところだけれど、我が家も狭いので…
「太郎、公園で一緒に寝てきたら?」と提案したら、
夫が「そっちかい!」とずっこけていた。