ショコラ日和

海外文通を通して、世界の友達と井戸端会議しています。

繰り返し読んでいる

文章のうまい下手がいまだによくわからないけれど、
1冊の本を読んだのに、しかも、楽しんで読んだはずなのに
読み終えると、つい「軽っ!」と言いたくなるような
何も残らない文章だけの本がある。
その一方で800字にも満たない、とあるお母さんのエッセイを
この1週間、繰り返し何度も読んでいる。

知的障害を伴う自閉症の息子さんを持つお母さんのエッセイ。
市内の障害があるこどもを持つ育成会の年一回発行の広報誌を
小学生の息子が持ち帰った。
今回のテーマは「障害のあるお友だちが学校を卒業したら…??」。
正直、いままで一度も読んでこなかった広報誌。
あまり興味をもつこともなかったけれど、
今回のテーマに惹かれて読んだ。

市内の小中学校で支援学級在籍のこどもたちの活動や
お母さんたちの体験談などなど…と言いたいところだけれど、
お母さんのエッセイは2つ。
そのうちの1つをここ1週間、毎日、何度も読み返している。

知的障害を伴う自閉症の息子が障害告知を二歳十ヵ月で受けてから
大変な日も楽しい日も毎日を繰り返してきたというお母さん。
ケースワーカーさんの「息子くんにとってわかりやすいかどうか」
という言葉をなにかを選択するときの指標としてきた。
通園施設、地元幼稚園を経て地元小学校へ。

どう伸びるかわからなかったころ、
もっと成長を見てみたかったのが大きな理由です。

とお母さんは書いている。
その後、息子君は4年生から特別支援学校へ転入する。

どう成長するかわからない、という時期は済んだと
自分に言い聞かせました。
家族以外の第三者、これからいろんな人に支援を受けながら
生きていく、将来のために自立を促すために親もその心構えを
身に着けるためにも転入を決めました。

その後も課題をひとつひとつ乗り越えながら
毎日元気に日々を過ごしていきたいと終わる。

それでも、「自分に言い聞かせた」というこの部分に
このお母さんの魂の絶叫が聞こえてくる。
いずれ必要な自立ではあるとしても、納得できなかったところが
あるのだろう。
その息子くんの状況、お母さんの状況、学校の事情、
いろいろとあったのだろうけれど、
なんとかよかったことを思い出しながら、
なんとかきれいにまとめようとしながらも見えてくる本音が
この文章なのだろうか…と何度も読み返す。

小さなちょっとしたエピソードはあるけれど、
なんだか端折った感が抜けない気がする。
そして気づく。
これは私が卒業式で読んだ謝辞と同じ体裁だ、と。
うまくきれいにまとめてあるけれど、
一見すると不平不満は見えないけれど
それでも文章から溢れ出てくるのは
息子君の自立のため、という理由でした選択に
「私は納得してない!」というお母さんの叫びを感じてしまう。
それでも、そう読み取るのは私だけで、素直に読んだら
また違った感想になるのか、とまだ繰り返し読んでいる。