ショコラ日和

海外文通を通して、世界の友達と井戸端会議しています。

娘は別の人間

こどもは親とは別の人格だ、と
気づかされる瞬間が子育てをしているとある。
そんな当然なこと、と思っていたつもりではあったけれど、
子育ての中で、「あぁ、この子は私とは別の人間なんだ」と
改めて思うときが幾度となくある。
3人いるこどもたちでもすべてが”初”の第一子だからか、
それとも唯一同性の娘だからか、
いままでも特に娘に「別の人間なのね…」と何度か思った。

例えば、2歳か3歳くらいでスカートをきっぱりと拒否し、
ズボンしか履かない時期があったとき。
例えば、難関私立中学の算数の問題を模範解答よりも
簡潔に解いたとき。(私が数字が大嫌いなのに)
例えば、誰とも喧嘩をせずにみんなと仲良くし、
誰かがルール無視をして自分が不利益を被ろうとも
自分が我慢すればいいと言うとき…
あぁ、私とは違うんだなぁ、と思ってきた。
だから、私とは違う別人格だとわかっていたつもりだったのに
この頃、またよく思う。
「娘は別人格なんだ」と。

娘は春には中3になり受験生になる。
娘の志望高校へ行ければ言うことなし!だけれども、
ここは第二希望や第三希望まで考えようかと娘に話した。

私の中では娘の希望する県立の第一希望高校が無理な時は
同じレベルの私立高校で頑張ればいいと思っていた。
私の意見を言うと、娘の希望が聞けないため
娘にどう考えている?と先に聞いてみた。

「きびしそうなら近くの行ける県立高校へ行く。」と。
娘が希望する高校がA高校だとして、
B,C,D,E,Fとあれば、どこまでランクを落とす?と
聞いてみた。
私の中では、「C高校までかな」とか言うのかと思ったら、
「学校で喧嘩(暴力沙汰レベルの)が起きないレベルの高校が良い、
という以外に希望はない。」と。
えぇ?!そこ…そこ以外ならいいの?!と逆に驚いた。
娘は通学時間が少なく、通学が楽で県立高校なら
経済的にも安心だ!と。
「高校は通過地点に過ぎないでしょ。」と。

いや、それはもちろん高校は通過地点だけれど、
朱に染まればなんとか、孟母三遷の教えにもあるように
”環境”は大事だから、ちょっとでも偏差値の高い高校が
勉強に熱心な生徒が集まって…と思う私はもう古いのか。
高校によって授業のレベルも違う。
教科書からして違うんだけれど…
(県内の県立高校で教科書一覧を見て愕然とした。
進学校はさすが、という教科書と科目)
という私の意見は夫が
「学校のレベルに合わせて勉強する必要はないでしょ」と言い出す。
娘の通う公立中学校レベルに合わせた勉強をいましている?と
聞かれると、それは確かに関係なくやっているわけで…
それなら高校も同じ?

高校の選び方を”制服”とか言われても、はい?となるけれど、
「校内で暴力沙汰が起きなさそうな県立高校」ならどこでも、って
その幅の広さ…。
私とは違う人格だなぁ、と改めて思った。

夫は娘と同じく、「近くの県立高校」が良いという。
近いというだけで、”時間”の節約になる、と。
娘と夫は”時間”に重きを置き、私は多少遠くても
”環境”がより大事だと思う。
高校選び、価値観が出るなぁ~と思った。