ショコラ日和

海外文通を通して、世界の友達と井戸端会議しています。

人の値うち

先日、こどもの病院へ行った。
「待ち時間が長くなりそうです」という話だったので
本を持参!
夢中で読んでいると、医師が待合室まで症状説明に
来られた。本を置いて、挨拶をすると
私が読んでいた洋書に気づき、
「英語の先生ですか?」と聞かれた。
違いますよ~と話すと、
「英語を使うお仕事ですか?」と聞かれ、
違います…と話していると、もう一人の医師も登場。
「メイさんは前は研究論文を読んでいらっしゃったから、
大学の先生でしょ?」と。
…違います。
洋書も研究論文もどれもこれも趣味で、
興味があるから読んでいただけで…と話すと驚かれた。
小さい子どものママでもある医師に、やっぱり幼児教育で
英語を?と聞かれ、
「いえ、公立中学校で英語を習ったのが最初です」と言うと
驚かれた。

そのとき、そのときで、面白そうな本やネットで見つけた論文や
いろんなものを鞄に詰め込んでいる。
結構、見られているのね…と驚いた。
きっと私がハーレクイン小説を読んでいたら(よく読む!)
先生たちは、英語教師か大学の講師か…とは思わないのだろう。
こういうとき、いつも思い出すのは江口いとの
『人の値うち』という詩。
生まれや服装や肩書で人はだれかを判断するばかばかしさ…という詩。
こうなりたくない!と10代のときは感銘を受けたけれど、
公平性を維持するって、年々難しくなるなぁと思ったり。

中学校に入学した太郎が新入生テストで英語があることを知り、
「やばいかも…」と不安に苛まれていた。
大文字と小文字のアルファベットが書けたらいいのでは?と
話したけれど、単語までスペルを覚えてない!と心配らしい。
コツコツと努力する性格の太郎は大丈夫!と話した。
三つ子の魂百まで、ではないけれど、性格はなかなか変わらない。
忘れ物の多い花子も、努力家の太郎も、
あるがままを受け入れるしかない。
そして、私も。

中学校の入学式、在校生はなしで入学者と保護者だけだったけれど、
夫婦で出席の家庭も多かった。
教室での最初のクラスルームのときも保護者は
教室には入りきれないほどで、
廊下に溢れている保護者たちの一人になっていたら
見回りの先生に言われた。
「廊下が密です!教室に入ってください!」と。
・・・はい?となって、つい聞いてしまった。
「狭い教室に入れば、さらに密ですけれど。」と。
すると先生は「教室は窓が開いてます!」と。
・・・廊下もね!!
先生の指示に従い、我が子の隣でサポート…
袖すりあうも他生の縁というけれど、袖すりあう距離でした。
これを密って言わず、なにを密っていうわけ?
楽しみな3年間の幕開けです。(棒読み)