ショコラ日和

海外文通を通して、世界の友達と井戸端会議しています。

先生のスピーチ

高校の入学式に参列してきた。
式典の楽しみは校長先生や来賓の方のスピーチ。
論語の一説や漢詩の引用など知らない言葉に触れる機会だと思う。
私とは違うアンテナを張り巡らしている人だなぁと思ったり
聞き飽きた陳腐な表現や使い古された言葉、
毎年同じことを言っているのだろうと思われる祝辞に
あくびがでそうになることも。

娘の中学校の卒業式、校長先生のお話は★1つ、と
全く記憶に残らず、ただただ冗長だったことしか覚えてない。
その一方で学年主任のあいさつは、
「新しい旅立ちに期待と不安はあるでしょうが、
まだまだこどもたちをサポートしていきましょう」という
前向きな思いと先生の具体的エピソードに
胸が熱くなった。

さて、高校の入学式。
校長先生は「人生の目標を持て!」と語っていた。
「人の役にたってこそ人生だ。人の喜ぶことができてこそだ。
それこそが自己肯定感を高めるのだ」と。
なんだかとても疑問が残るスピーチだった。
人の役に立たないとダメなのか?
人が喜ぶことを人生の目標にする?
人の役に立たないと人間失格なのか?と
いろいろと突っ込みたくなるような微妙なスピーチだった。

その一方で、学年主任の先生の挨拶がとてもよかった。
教育信念として、ルターの言葉をいつも思っている、と
先生が紹介した言葉がある。
「例え、明日、地球滅亡しようとも、
今日、私はりんごの木を植える。」

りんごを希望だと解釈している、とその先生は言った。
僕たち(学年団)は毎日、りんごの木を生徒に植えます。
そのりんごはすぐに実るかもしれないし、
3年後に実らないかもしれない。
人生の終わりに実るかもしれない。
最後の最後まで実らないかもしれない。
それでも、僕たちは毎日、生徒たちにりんごの木を植えようと思います、
そんな教育理念の話だった。

目先の目標や結果にとらわれず、
いつになるかわからないものを、信じて植える。
50代半ばの先生だったので、実らなかったりんごも
たくさん見てきただろう。
(そうして、りんごを植えなくなった先生たちを
こどもたちの小中学校で私もたくさん見てきた)
それでも、リンゴを植える!その理念に胸が熱くなった。

リンゴの格言はルターの言葉のようなので、
キリスト教における”りんご”は、知恵とかまた
別のことを本当は意味して、
先生の話す”未来”とは少し違う気もしないでもないけれど、
それでも入学式にふさわしい未来への希望にあふれた挨拶だった。
さすが国語の先生!と思った。
こんな先生の国語の授業、毎日学びがあるのだろうなぁ…。

私もリンゴを植える人になろうと思った。