ショコラ日和

海外文通を通して、世界の友達と井戸端会議しています。

寄り添う

アメリカの仲良しパルのお母さまが突然死したと
夜中にアメリカのパルからメールが来た。
とても突然だったようで、洗濯をしている途中に
スマホもすぐ近くにあったけれど、倒れてそのまま…
だったらしい。
状況が把握できない、なんだかわからないけれど泣いている、
というパルからのメールを呆然としながら読んだ。

海外文通をしている間、何度かパルのご家族のご不幸に
接したことがある。
文化の違いや言語の未熟さを考えれば考えるほど、
どう言葉を選んでも失礼になるような気がして、
何も言えない…となったことが多々あった。

その後、私の祖父母が亡くなった時、
私も彼女たちに伝えた。
そのとき、きっと彼女たちも私と同じ状況になり、
言葉に困るのだろうなと思っていたら全く違った。
「いつでもあなたが語りたいときに私に語って」
「あなたのおじいちゃんの話を私に聞かせて」
いろいろな言葉をもらった。
無限ループのように思い出をただ語りたかったとき、
「いつでも私は聞くわよ!」とアメリカのパルたちが
何度もメールしてくれたことがとてもうれしかった。
そして、お言葉に甘えて彼女たちに幾度となく感情のおもむくまま、
昔話をした。
ただひたすら聞いてくれた。

それまで文化や言語の違いがあるから、
失礼にならないようにしよう、という思いが強かったけれど、
他者に寄り添うということに文化の違いはないんだと
気づいた出来事だった。

祖父母を喪失した時、何度も話を聞いてくれたアメリカのパルが
お母さんを亡くした。
「今度はあなたが話す番よ、私はいつでも、
何度でもあなたの話を聞くわよ。
みんなが聞き飽きた話を何度でも好きなだけ私にして。
時差があるから、アメリカの真夜中も対応可能よ!」と
メールをすると、まだ状況を受け入れられないの、
という返信があった。

彼女はいま、常識にとらわれないお葬式を計画中。
「母の好きなロックミュージックをかけて、
母の好きだった脂っこい食事を提供する」と。
私も祖父の好きだった曲をお葬式でかけた。
祖父のベストCDを持参したら「桃色吐息」が流れて
くすくすと泣き笑いが漏れたけれど、
その後、生前の祖父を親族で語れた。
破天荒なロックミュージックがパルのお母さんの武勇伝を
思い出す一助になるのだろう。
彼女がメールの最後にダンベルドア先生『ハリーポッター』の
格言を引用していた。

To quote Dumbeldore, 
ダンベルドア先生の名言から)
“After all, to the well organized mind, 
death is but the next great adventure.”
(結局、きちんと整理された心を持つ者にとっては、
死は次への大いなる冒険に過ぎない。)