ショコラ日和

海外文通を通して、世界の友達と井戸端会議しています。

ボランティア

ボランティアって、何なのだろうと思った一週間だった。
家族の夕飯時の話題はほぼ”ボランティアとは?”について
語った1週間だった。
そもそも日本ではあまり根ざしていないボランティア。
奉仕活動で、自主的に…なハズ。

私が今回、ボランティアを考えたきっかけは、
私が名誉職としてお願いされた仕事が”ボランティア”だった。
無報酬。
しかも、”守秘義務”があって、”地方公務員(非常勤)”扱い、
と言われた。

・・・いや、意味わからない。
それって、「頭痛が痛くない」って言っているのと同じでは?
地方公務員(非常勤)って、みなさん、無報酬だったっけ?
無報酬の人に”守秘義務”を課すことがそもそもできるのか???
と疑問でいっぱいになった。

しかし、その仕事は昨今の社会情勢を鑑みて、
新しく作られた仕事(ボランティア!!)で全国にもたくさん…。
もし、それが必要な仕事で、守秘義務が当然なのであれば、
それを”無報酬”でしてもらおうって、都合がよすぎないか?
それは報酬を与えて、より適切で有能な人材を配置しては?と思う。
きっと予算の都合で”無報酬”で、他人の誰かの”善意”に頼って
なんとか成り立たせているシステムに私が加担するのは良いのか?と。

善意に頼ってボランティアでやってもらう、
それは中学校や高校の先生たちがしている部活動指導と同じで、
善意に頼って、本来は払うべき労働に対価を支払わないのは
おかしいのでは?という風潮の中、
これは良いの?!と思った。
それとも、時間にも経済的にも余裕のある
有閑マダム(いまもいるのか~!?)と
退職後の高齢者の労働には対価を支払わないのか?
誰かがしなければならない仕事をしている人に対価を支払わない、
そこになんの疑問も感じない?
「高齢者ばかりで、最近の事情がわからないのでお願いしたい」と
私に回ってきたボランティア。

ここで、私がこのボランティア活動はいろいろと考えた結果、
主義に賛同できないとボランティア活動を拒否することは
反対意見を述べたことになるのか?
選挙で白票を投じたり、選挙に行かないことと同じで
痛くも痒くもない抗議になってしまうのでは?

結果として、「やります!!」と腹をくくった。
それは勧誘にきた役員さんに言われたことも大きい。
「無報酬で、上司もいません。部下もいません。
どこにも気を遣わず、思ったことを言えばいいんです。
給与をもらっていればそういうわけにもいかないでしょ。
あなたが大切にすることはあなたの倫理観だけです。
あなたが”正しい”と思うことはブレないことを知っています。
あなたの”倫理観”と行動力を知っている私たちが推薦したのです。」
「学校で問題が起きた時、多くの人も保護者もその事実を知っていた。
それでも、動いたのはメイさんだけだった。
私たちが期待するのは、静かに会議に参加する人ではなく、
意見をしっかり言える人なんです。」と言われた。

私を推薦した人たちが期待することが”結果”ではなく、
”気づかせること”だということにも気づいた。
私より何十年も上の先輩方、早急な変化は起きないことを知っている。
でも、”気づいていない”人たちを”気づかせる”ことを
私ならしてくれるだろう、という期待。
大きなため池に私なら石をボチャンと入れて、
さざ波を立たせるだろうということを期待しているわけです。
実際は彼らの想像以上に小石のつぶてが投げ込まれて、
ため池が波立つかもしれませんけれどね!

最初の会議では「初参加で右も左もわからないのですが
善意に頼って無報酬で労働させて、
守秘義務を課すって、
最近の風潮にあっているんですかね?」とまずは聞きたい。
最初にドーン?後からドーン?と夫に聞くと、
「どうせ、すぐにドーン!」と言われた。

アメリカのパルもロンドンのパルも
「ボランティアは人生を豊かにするわよ」と言いながら、
「でも、メイは”お金は得ず、得るのはストレスだけか~!!”って
前に役員したときのように叫んでそう」と言われた。
言いそう…。