ショコラ日和

海外文通を通して、世界の友達と井戸端会議しています。

『おやじはニーチェー認知症の父と過ごした436日-』

新聞の書評で紹介されていた本に目が留まった。
『おやじはニーチェ認知症の父と過ごした436日-』

 

認知症の父が哲学者のニーチェのように哲学的なことを語る、
そう予想した。
そして、それは全く想像できないことではなかった。

本書ではありとあらゆる哲学者がでてくる、
ニーチェウィトゲンシュタインパルメニデスハイデガー
デカルトにオイゲン・ヘリゲル、ジャン=ポール・サルトル
プラトンアリストテレスも。

認知症という筆者の父との会話は「個性とは?」「自己とは?」
「時間とは?」と、どれもこれも哲学的。

認知症の有病率もとても興味深い。
80~84歳では認知症有病率は21.8%、
85~89歳では41.4%になり、90~94歳では61%。
95歳以上では79.5%とほぼ8割になる。
認知症にならないほうが病的であり、認知症は正常の証し。
確実な認知症予防は「長生きしないこと」”にはもううなづくしかない。

日本とアメリカにおける認知症の診断基準の違いも興味深かった。
日本では「本人、本人をよく知る情報提供者、または臨床家による、
優位な認知機能の低下があったという懸念」で認知症になる。
「物忘れがひどい」という懸念で認知症になってしまうってこと???
アメリカでは「毎日の活動において、認知欠損が自立を阻害する」
状況になったときで、内服薬の管理や請求書の支払いなどの
複雑な手段的日常生活動作に援助を必要とする)ときらしい。
つまり、”自立した暮らしができなくなったとき”。
そうなると、筆者の父もそうだったらしいけれど、
”一人暮らしできない人”なんて、星の数ほど日本にはいるのではなかろうか?
なんていう疑問を抱く。

私はつい夫に言ってしまった。
「これって、あなたは日本式でもアメリカ式でも
認知症の診断を得ることができるってこと?」と。

認知症になった祖母がよく存在していた時代は
息子が結婚し、孫が小さくてかわいい時代だった。
認知症になった父がいる時代は自分がバリバリ働いていて
こどもたちは小学生の時代が好きなようだ。
それでも、同時に孫も存在する。
私が認知症になったとき、どの時代に長居することになるのか
いまから楽しみでもある。
間違ってもこどもたちの成績に一喜一憂している
ストレスいっぱいのいまじゃない!と思っているけれど、
年取って「塾の送迎までしているのに、文句ばかり言う!!」と
愚痴る世界にまだいるのだとしたら、それはそれで面白そう。

案外、あの時代好きだったのね…と呆れて思うしかない。