ショコラ日和

海外文通を通して、世界の友達と井戸端会議しています。

お菊さん

ロンドンのパルからメッセージが来た。
”I recieved a postcard in Japanese, 
and I am having a tiny bit of trouble understanding a little bit of it.
Do you think you might be able to take a look for me?”
(日本語のポストカードを受け取ったのだけれど、
ちょっとわからないところがあるのよ。
ちょっと見てくれない?)

日本語なら、私、かなり流暢なのよ~と伝えて
ポストカードを見せてもらった。
ロンドンのパルが言うには、手書きの漢字が読めないところがある、
ということだったので、
達筆なのか、行書なのか、乱筆すぎるのか、とドキドキしながら
画像を見た。

・・・この手書きが読めない?
これは、日本人でもきれいな字に属するわよ!
しかも崩し字になっているわけでも行書にもなってないけれど…
彼女が読めなかった部分の日本語を打ち送った。
彼女が読めなかった漢字は”井戸”で、井戸は知っているけれど…
微妙にこの漢字が違うわよね、と。
ちょっときっちり線がでてないから?
日本人の私には許容範囲ですけれど…。

ロンドンのパルが受け取ったのはお菊さんが食器屋で働いている、
というパロディの絵葉書。
ロンドンのパルはお菊さんの話も知っていたらしいけれど、
そのお菊井戸はロンドンのパルも行った姫路城にあるのよ、と
話すと、「COOL!」(かっこいい!)と。
クール…いや、確かに寒くなる話だけれど。

ロンドンのパルはお菊さんの話を
"Revenge ghost story"(復讐する幽霊の話)と認識していた。
私はお菊さんの話を”怪談”認識で、怖い話だと思っていた。

こどもたちが校外学習で姫路城に行ったとき、
お菊さんの”最新ストーリー”なるものを教えてくれた。

金曜の夜、お菊さんが井戸から出てきて皿を数える。
「1枚、2枚、3枚…」
お菊さんは10枚1組の家宝のお皿を割ったことで
井戸に身を投げて以降、夜な夜な「1枚足りない」というのが
伝え聞いている怪談。
でも、最新話は違う。
「11枚、12枚、13枚…」
お菊さんを見かけた人が10枚超えてる?!と驚くと、
「いまは週休2日だから、土日の分も数えてます~」と。

ってことは、3枚足りないのか?!という突っ込みを入れそうになったけれど
いまだにお皿を数えているなんて、
勤労意欲のある人だわ、お菊さん…と思いつつ、
こういうストーリーがまた作られていることを
とてもほほえましく思った。
怖い!と思われているのではなく、ある意味、共生しているというか
彼女のいろいろな思いを受け止めている人がいるのだなぁ、と。
食器屋で働くお菊さんも素敵な設定だったけれど。

 

ペルソナ・ノン・グラータ

「友達の友達は友達?」と聞かれたら、どう答えるのだろうか。
私の場合、「友達の友達は友達!価値観の合う人が友達のことが多いから、
その友達も友達になれる!きっと同じような価値観だから。」
と思っている。
いまでも、大きく外れたことはない。

同じように「友達の夫や恋人も同じ価値観を共有している」のかと
私は思っていたらしい、と最近、気づいた。
大抵の場合、友達の選んだパートナーは、「はい???」と思うことが
正直、多い。
「蓼食う虫も好き好き」とは言うけれど…、
そうか、そういう価値観だったのか!と友達の男性観に絶句したり、
呆然としたりすることの方が多い。
例外的に、ロンドンのパルの夫はとてもいい人で、
彼の非社交的なところ(とロンドンのパルは言うけれど、
”シャイ”なだけだと私は思う)や興味のある話のときは饒舌なことも含めて
とても好ましい性格だと思う。

その一方で、「なぜにこの人を選んだ???」と疑問を抱くこともあり、
きっと知人程度の私には見せない家族にしか知られていない
すんばらしい一面があるのだろう、と思うようにしているけれど、
友人からそうでもないことをよく聞くと、謎でしかない。
きっとあれもこれも謙遜だ、身内をけなすのはのろけなんだろう、と
頑張って思うようにしていても、
「無理!!」とつい思うような話に疲れ果て、
ロンドンのパルに愚痴った。

"My mother is also married to a mysoginist."
と返ってきて、
三十路ニスト?
30代がなんだって?
ロンドンのパルのお母さんはもう絶対に30代ではないでしょ?と
混乱に陥った。

mysoginist:女性蔑視者、女性嫌悪
女性を低く見る人のことを表すらしい。

ロンドンのパルのママさんはロンドンのパルと近い年齢の男性と
再婚したらしい。
「食器を手で洗え」「料理をきちんとしろ」
「部屋は常に清潔に」「家事に時間を惜しむな」
というようなことを言うらしい。
その男性が、ええ、その男性がですよ!
私より少し年上なだけの男性が!
友人の夫と丸被りの言動に、もしや同一人物か?と
「その男性の名前は?」ってつい聞いてしまったけれど。

最近の物価上昇に生活費アップを要求したところ、
「そこは妻の努力のみせどころ」みたいな話とか…。
でも、そういう夫に従順に従う妻っていう夫婦なわけで、
”破れ鍋に綴じ蓋”を感じる。
私ならスト決行するか、ちゃぶ台ひっくり返して子連れてホテル泊か、
わなわなと怒りに震えるわ、と話したところ、
「私たちのそばにいるのは、そういう夫ではない。
そういう男性の傍にいたいとも思わないでしょ。」と
ロンドンのパルが言っていた。
いや、本当に結局はそこに帰結する。

友達の友達は友達、だけれど、
友達の夫とは友達…にはなれそうにない。
ペルソナ・ノン・グラータ(好ましからざる人物)と呟いてしまう。

腕時計の修理


結婚10周年に買ったシチズンのXC(クロスシー)が壊れた。
海外旅行に行った時も時間合わせがとても楽で気に入っていた。
高校生の娘に半年ほど貸していたものの、
雑な使われ方に回収。
娘は安い時計に。クロスシーは分不相応だったようです。

しばらく鞄の底に入っていたせいか充電もできておらず、
(ソーラー発電、電波時計
時間も合っていなかったので
充電のために3日ほど窓際に置いたり、ベランダに置いたりと
せっせと充電し、電波受信を試みるものの合わない…。
取扱説明書を読みながら、何度も強制的に手動受信を試みるも
合わない…。

ということで、シチズンに修理依頼をした。
購入して6年経った電波時計
修理費用は18000円!と見積がでたので、続けて修理の依頼をした。

なにがどうなって18000円なのかが全くわからなかったので
(それでも思い出の時計だから、直しますけど!)
修理箇所を問い合わせた。

内部機械の潤滑油に粘性の高まりがあって、歯車に抵抗が多く
充電する電力以上に電力を使用して充電しても動かない、
という状況になっていると。
時計内部の機械部品をすべて分解し、洗浄、劣化部品や
不具合部品も交換し組み立て、初期性能に近い機械の状態に戻します。

ということで、修理期間は2週間~3週間らしい…。
ソーラーの電波時計なら、半永久的に使えるものだと思っていたけれど
そうでもないのか!ということが一番の衝撃だった。
部品の保存も製造から7年、なんていう話をどこかで目にし、
私のクロスシーはもしかして、セーフ!?とほっとしたけれど
次に同じ状況に陥った時は、(7年後とかに)
どうするんだろう…。

水仕事のときも日常生活防水があるからと腕時計をつけたままで
食器を洗ったり、(正確には食洗器に入れる前の予洗い程度)
お風呂掃除をしていたのが悪かったのか…と反省したり、
いやいや、きっと娘のせいに違いない!と娘のせいにしたり。
購入金額のほぼ半分の修理費用になったので今度はもっと大事にしようと思う。

ジョーク

ロンドンのパルと話をしていた時、
知り合いの話になった。
友人にはなれない、と思うその理由、
「彼女、風見鶏なのよ。」と、そのまま英語に訳した。
weathercock:風見鶏

”What?”(なんだって?!)と聞かれて、
あら、”風見鶏”って通じないのね!と初めて知った。
まさかイギリスには”風見鶏”のような人はいないのか?
風見鶏というのは、その場その場の風を読んで、
意見をころころとかえる人のことよ。
英語ではなんていう?と聞いてみた。

"wishy-washy"と、そういう人は呼ぶけれど、
私は今度からweathercockを使うわ、とロンドンのパルから返ってきた。
風見鶏のほうが面白い表現だわ!と。
wishy-washyは優柔不断という意味でもよく使われているよう。

ここ数日、考えているのはジョークのことばかり。
数日前に読んだ『ユーモアは最強の武器』ではオバマ元大統領は
プロのコメディアンをスピーチライターに起用している話も
書かれていた。『24歳の僕がオバマ大統領のスピーチライターに?!』を
読んで知っていたけれど。

 


それでも、誰も傷つけず、自分の知性も疑われず…なジョークが多く
本当に感心する。よくできている…と。
例えば、『ユーモアは最強の武器』で紹介されていたオバマ大統領の
2011年一般教書演説の中でのジョーク。
「サケが淡水にいるときは内務省の管轄です。しかし、サケが海水にいるときは
外務省の管轄になります。」
「問題がさらにややこしくなるのは、スモークされたときです」
じわじわとくる笑いがある。
2011年のこの一般教書演説、アメリカ人に一番頭に残ったことは?
というラジオのアンケート、ダントツの”サーモン”(サケ)だったらしい。
・・・ユーモアしか残ってない!というところはもう笑うしかない。
ユーモアがメインになっていて、
ユーモアが成功しすぎた失敗例になっている気がする。

その一方で、いまだに真意を測りかねているジョークもある。
文化の差?どう思うことが正しいんだ?
誰が言うかで変わる?と悩んでいる本に掲載のジョーク。

「男性と女性がふたりきりでエレベーターに閉じ込められてしまい、
もう二度と生きて外へは出られないことが分かった。
女性が男性のほうを向き直って行った。
”死ぬ前に、女であることを実感させて”すると男性は服を脱いで
こう言った。”畳んで”」

これ、男性が言うと、なんだかすごく封建的でジェンダーに無自覚な
気がするので、このジョークを男性が言うのはアウトだろう。
女性なら?私が言うか?と聞かれると、知ってても言わない…。
このジョークは”これは言ってはダメなジョーク”なのか、
自虐で使うのか、ジェンダーを感じさせるときに使うのか、
これを言う上司は?と考えると、失敗する確率が高そうで
誰が言っても成功しないジョークな気がする。

『ユーモアは最強の武器である』

謝辞がほぼ完成した。
今回の謝辞もどうしても入れたい!”ユーモア”を。
「なぜ、そんなにジョークやユーモアを入れたい?」と
夫や友人たちに聞かれる。
それは、私がスピーチを聞くときも楽しみたいと思っているから。
できれば、面白いスピーチを聞かせてほしい!と思うものだろうと思うし、
式典でのあいさつを即興でする人はいないことを考えると、
練りに練ってできるはずなのに…それ?限界はそこ?と思うような
使い古して穴が開いたような挨拶をする最近の校長先生たちにうんざりする。
最後の年月日、去年のを読んだところで、誰も気づかない、
聞いていないよ…と思うほど。

他人よりも時間にうるさい私は、時間をとられることが本当に嫌だ。
全くなにも目新しいものがない挨拶が長々と続いたときはげんなりする。
私の謝辞も多くの人の時間を奪う。
それなら、それに見合うだけの時間と労力をかけよう!と思う。

ということで、ユーモアを練っている…。
即興ではなく、練る!
そんなときに読んだ本。『ユーモアは最強の武器である』

まさに私が思うことと同じだった。
本書でも指摘されている、「ユーモアを使うことによってあなたの発言は
興味深く感じられ、相手の記憶に残りやすくなる」と。
ユーモアがいかに知性を感じさせるか、
どういうグレーゾーンを狙っていくか、
またユーモアに失敗した時の立ち直り方など。
正直、経験談として知っていたことは多いけれど、
これを真面目に研究し、データを取っていることに驚いた。

ツイッターの元CEOディック・コストロが語っていたことが
まさに私の目指す、理想とするリーダーと同じだった。
「リーダーとしての私の仕事は、ミスが起こることを防ぐこと
ではありません。実際にミスが起こった時、できるだけ迅速に処理することです、
でも、みんなが私に安心して悪いニュースを報告できなかったら
ミスを処理するまでにうんと時間がかかってしまいます。」

私がすぐに辞任した名誉職、
私の提案とは全く関係のない”年齢”と”性別”について攻撃され、
かつ、さらに状況を精査するように”検討会を立ち上げること”と言われた。
これ、本書に出てくるCIAが「業務を円滑に進行させない方法を教える」
ためのガイドにでてきた!

ポイントは5つあって、そのちの2つが該当。
・委員会では「さらなる調査および検討」のためとして、
可能なかぎりあらゆる事項に言及する。
委員会はできるだけ人数を増やし、5人以下にならないようにする。
・本題とは関係のない話題をできるだけ多く持ち出す。

「すごい、CIA仕込みですか?!」と私も言えたらよかったのかも。

 

原稿作成


謝辞をずっと考えている。
いろんな人がとても有意義なアドバイスをいろいろとくれる。
「思ったことを素直な気持ちで書けばいいのよ。一番に思いつくのは?」
「せいせいします!」と最初に思いついた正直な気持ちを言うと、
「・・・それは、謝辞に使えないわね」と。
でしょうね。

いや、そもそもコロナ以降はイベントも減り、保護者が学校へ行く機会は
ほぼなく、家庭訪問もなく、
去年の担任の先生に至っては顔すらわからないまま。
謝辞も漠然とした抽象的なことばかり書いてしまう。
そうすると、「もっと具体的なエピソードはないの?」と言われる。
「ないよ!学校行事に行ってないでしょ!」と言うと、
「それでは、それもエピソードとして入れられるね」と。
学校行事がコロナ禍でことごとくなくなり、担任の顔すらわからないままですが
家庭訪問がなくなったのはラッキーだったと具体的に書いたところで、
”謝辞”にならない。
4年前の花子の卒業式の謝辞がすんばらしかったといまでも言ってくれる
来賓の方々は「今度の卒業式、楽しみです!」とハードルを上げてくる。
「前回は中学校の校長先生も泣いてましたよ。」と。

最初の子である花子のときは、私もピカピカの新一年生のように
すべての学校行事が目新しかった。
っが、末っ子に至っては下校トラブルさえも既視感いっぱいだった…。
私の観察力も多分、花子のときの3割以下だったため、
本当にない、エピソードが!!とのたうち回っていたら
見かねた夫が歴代の先生を思い出そう!エピソードも見つかるさ!と
いうことで、振り返ってみた。
でるわ、でるわ、思い出す先生への愚痴エピソード。
「あれはひどかった!」「あれはないと思った!」「考えられない!」
という具体的エピソードに夫も
「思い出すべきやなかった…」と言うほど。
私の血圧が上がっただけだった。
夫も前の謝辞に比べて、今回の完成度は低いというけれど、
前回の謝辞はほぼ半年かけた。エピソードを血眼になって探し、
「それだけ三振すれば、そろそろホームラン級の何かあるよね?!」と
先生に期待し、年末を過ぎるころには
「ホームランはもう期待していない。ゴロでいい。
バットに当ててくれればいい!なにか心が動くネタをください!」と
先生の言動を祈るように見つめていた。結局、ゴロすらなし。
3か月は推敲に推敲を重ねていた前回…
今回は一か月!完成度、6割で十分でしょ!と思いつつ、
寝ても覚めても謝辞の原稿とにらめっこ。

私の中では8割完成かな?というものをママ友二人を前に読んでみた。
「こんな謝辞はどうかしら?」と。
カフェで読み、ママ友二人を泣かせた!
「いろいろと謝辞を聞きながら思い出して、泣ける!!」とか
「十分にエピソード入ってる!」とほめられた反面、
「学校への感謝エピソード弱めね」とも。
…それ以上を望めば脚色や誇張を通り越してもう創作の世界です。

そして、なんとか自分の中で満足できる、
前回と同レベルのものができたと思う。
後はジョークを考えるだけ…。

 

NHKの番組

NHK『インタビュー ここから 青木さやか』を観た。
NHKのアナウンサーと青木さやかの二人による語りがほぼ、
の番組なのだけれど、そのインタビューを見て、
こういうカウンセリングを私もしてほしい!と思ってしまった。
インタビューよりもカウンセリングに近かった。
「どう思ったんですか?」
「相手はどう思ったんでしょうね?」
「変化はありましたか?」というNHKアナウンサーの質問に
青木さやかがとても真摯に自分の気持ちに誠実に語っていた。
青木さやかの話し方や表現の仕方がとても頭が良い、
文章力のある人だと思った。
難しい言葉ではなく、わかりやすく伝える努力をしようとしている、
そんなことを感じるインタビューへの答え方だった。

実は2回ほどスクールカウンセラーと話をした。
”話をした”というのは、カウンセリングだったのか、会議だったのか
情報の共有だったのか、相手がどう思って接しているのだろうか
わからなかったから。
多分、1度目は”情報の共有”で、2度目は”ただの世間話”だったと
私は思っている。

心理学という類は大好きなので、いろいろと知っていると、
ついしてしまう。
例えば、聞いていますよ!アピールでミラー効果をしてしまったり
(相手と同じ動作をして、仲間ですよ!アピールをすること)
ちょっとしたボディランゲージから心理を読み取ったり…。
しかし、スクールカウンセラーだと相手も心理学のプロってことは…
と裏読みをしてしまったり。
分析されたくないから、ちょっと思っていることより良いように言ったり、
私がメモしてほしいときにメモをせず、そこ?!みたいなときに
ペンを走らせているのを見ると「気が散る!」と思ってしまったり。

私の思うカウンセリングは、相手の思っていることを話す中で
自分の思いに気づかせる、思いを引き出す会話をするのだと思っていた。
っが、そういうカウンセリングはむずかしいようで、
いまだにそういうカウンセラーに出会わない。
(過去に二人のカウンセラーと話したけれど)
そういうカウンセラーを知っているからこそ、NHKアナウンサーと
相手の思いを引き出すインタビューに感心してしまった。

NHKの番組『ハートネットTV はじめましての二人旅』もとてもいい。
健常者と障碍者の初めまして同士で旅に出る。
難聴で手話でしか会話できない女性と漁師…とか
ギャルと視覚障碍者
出逢わなさそうな二人がコミュニケーションをとりながら
初対面ながら1泊2日の旅行をする。
手話ができない漁師が難聴の女性に常にLineで会話をして
「もっと目を見て会話したい」と言われたり、
車いすの男性がボディビルダーの大学生に人生のアドバイスを送ったり、
ちょっとしたことが重要なんだと気づかされることが多い。