ショコラ日和

海外文通を通して、世界の友達と井戸端会議しています。

「あなたは自分のこどもを信じれますか?」

 

最近のママさんたちはすごい、と感心することがある。
子どもを信じるママさんが多い。
いや、すごい!
例え、どこからか自分のこどもの悪行が耳に入ったとしても
「うちの子に限って、そんなことはない!」
「まずはこどもの話をしっかり聞いてみる」
とほぼ言う。
大人に外の顔と家の顔があるように、
こどもにも家の外と中で顔が違うと思っている。
こどもに限らず、「悪いことは言わない」、これ当然。
そんな中、親が「怒らないから言ってごらん。」って言って
言うこどもなんているわけないでしょ、と私は思っている。
怪人二十面相まではいかなくても、
3つや4つの顔は持っているものでしょ?

数か月前、こんなことがあった。
一緒に遊んでいるお友達のシールを別の子がとって
隠して持ち帰っていた、と。
小学生女子…まぁ、あるある、とも思う。
それをママ友から聞いたママさん、
「子どもの話をまずは聞く」と。
そして、こどもの話を聞いたら、
故意ではなく過失でした、と。

・・・いやぁ~、それ、どうなんだ?と正直、思ってしまった。
実際に過失だったかもしれないけれど、どう思う?と
我が家の子どもたちに聞くと、
「我が家では絶対にお母さんに怒られる」と。
ええ、私なら怒る。
「李下に冠を正さず」とこどもたちに口を酸っぱくして言ってきた。
違うんです!と証明することに時間と労力を使うなら、
疑われないようにしようよ、と。
エコバッグを広げてスーパーを歩かないのと同じ。
私がママさんの立場なら、アウトー!!と、こどもに言う。

ただ、それ以上に、子どもの外での行為を教えてくれたママさんへの
配慮がなかったことが実はもっと気になった。
私なら「教えてくれてありがとう!」だなぁ…と。
こどもの悪行を目にしたとき教えてくれるママさんや
ご近所さんの存在は本当にありがたい。
相手も気になっても言えない、言わないことが多い中、
敢えて時間と労力を使って教えてくれたことはありがたい。

我が家のこどもたち、情報があちこちから入るシステムになっていて…
「次郎君、今朝は登校してた?」と登校チェックもされるし、
(ご近所さんの洗濯干す時間と重なっているためよく会うらしい)
「今日は傘をさしてたで!」とか
「学区外に出てたの見た~!」などなど。
教えてくれてありがとうございます!
悪いことしていたら、すぐにまた教えてくださいね~と
いつもお願いしている。

そして、こどもたちに「こんな情報を入手しました!」とたまに言う。
「どこで?誰から?!」とびっくりされている。
ママさんのネットワーク、あなどれませんよ、と
監視社会をアピールしている。
ただ、監視社会はお互い様で、
「太郎君のママが太郎君の服着て散歩していた!って言われた」と
私の目撃情報も…どこで?誰から?!とびっくり。

先週、時間があったのでこっそりと次郎の下校風景を覗きに行った。
そこには低学年のお孫さんを迎えに来ていたおばあちゃんがいた。
外ではかっこうつけたい年ごろの次郎、
私に「あっ!」くらいしか言わず、素通り。
ほかの大人たち、横断歩道に立っている指導員さんや
お迎えに来ていたおばあちゃんには「こんにちは。」
「帰りました」と挨拶をしていた。
次郎が通り過ぎてから、そのおばあちゃんに声をかけられた。
「見た?家庭で、どういうしつけがされているか、
こどもの様子を見ただけでわかるやろ?」と。

・・・これは明らかに次郎の言動についてですよね?
大きなミスありました?
どこかヘマしてた?
あれ?私、何も気づかなかったんですけれど…
とりあえず、謝っとこう!
「すいません」と言おうとしたら
「最近の子は挨拶をしない子も多いのに、
あの子はいつもきちんと挨拶してくれるんやで!
こどもを見るだけで、その子の家庭もよくわかる」と言われた。
横断歩道に立っていた指導員さんが、
「あの子のママさんが、その人やで。」と笑いながら言った。

久しぶりにお小言を聞くことになるかと焦りつつ、
帰ったら次郎に雷落とさないと!と思っていたけれど、
予想外に褒められて、ほっとした。

外と家では違う顔を持っているようで、
先日もよく遊びに行くお友達のおばあちゃんに
「次郎君はいつ来ても靴を玄関できちんとそろえて、
大きな声であいさつして、しつけがすごく立派にできている」
とおほめいただいた。
・・・我が家の玄関で次郎の靴は取っ散らかってます。
その夜、次郎に聞いてみた。
「次郎君、次郎君。お友達の家では靴をきちんとそろえることが
できるそうですね。しかも、一度、上がってから
靴の向きを直しているとお友達のおばあちゃんがほめていました。
それ、家ではやらないのかい?」
次郎くんは言いました。
「お母さん、僕はお母さんのおかげで正しいマナーは知ってる。
だから、家ではしなくてもいいの。
外ではきちんとできるから。」
そっか~…じゃなくって、家でもやりなさいよ!と
今日も今日とて、「玄関の靴をちゃんとしてー!」と叫んでいる。
家の中でボール遊びするこどもたちに「うるさい!!」と
階下から叫び、
「お母さんが絶対、一番うるさい」と言われている。
大丈夫、外へ出たら、「おほほほ」とやっているので。

 

疲れたときに聞く

高校生の娘が英語の授業でスティーブ・ジョブズのスピーチの
日本語訳が宿題になっていた
「感動するんだって!」と娘は言っていたけれど、
私はスティーブ・ジョブズのスピーチで感動はしなかった。

最近、胸に響いたスピーチはYoutubeで見かけたスピーチ。

www.youtube.comただ、彼のスピーチはこれがとても有名なだけで、ほかにはない。
きっとこれに人生のすべてを入れたのだろうなと思う。
多くの場合、1つ、すんばらしいスピーチがあるだけでも
素晴らしいことで、量産されることはない。

スティーブ・ジョブズのスピーチは心に響かなかった私が
一番心に響いたスピーチはヒラリー・クリントンの敗北宣言の
スピーチ。

www.youtube.comなんであれが教科書に載らないの?!と思うほど。

友人に「疲れた時、どうしてる?」と聞かれた。
彼女は泣ける動画を見て、スッキリさせるらしい。
以前の私ならケーキ屋だったけれど、いまは持病のため
それもできない。
考えすぎて疲れた時は競歩気味の散歩で頭スッキリ、
体ぐったりを心掛けているけれど、
今日はこどもたちの送迎があったので、ヒラリーの敗北宣言を
BGMにして運転した。
途中、いろいろと思い出し、泣けてくる。

"and to all the little girls who are watching this "
(これを見ている小さな女の子たちへ)
で始まるスピーチはもう泣ける。

and to all the little girls who are watching this,
 never doubt that you are valuable and powerful
 and deserving of every chance and opportunity 
in the world to pursue and achieve your own dreams. 
(そして、これを聞いている小さな女の子たちへ、
あなたに価値があり、立派で、世界でチャンスや機会を得るに
ふさわしく、自分の夢を追求し、成し遂げることを
決して疑わないでください。)

please never stop believing that 
fighting for what’s right is worth it. 
(正しいことのために戦うことは価値あることだと
信じることを絶対にやめないでください。)

ヒラリーのスピーチ、私に言われている気分で泣ける、
もうlittle girl(小さい女の子)ではないけれど。
すべての女性に言っているようで、きっとこれは彼女自身が
いままでの挫折や失敗のたびに、己を奮い立たせるために
自分自身に言い続けてきたのだろうなと思う。
自分の経験や思いからでた言葉はやっぱり人の胸を打つ。
疲れた時は、ヒラリーの敗北宣言を聞いている。

『またあなたとブッククラブで』

    『また、あなたとブッククラブで』

観たかった映画。
40年間、毎月のブッククラブ(1冊の本を読み、感想を言い合う)を
続けている女性4人の友情物語。
選んだ本が『フィフティ・シェイズ・オブ・グレイ』

ママポルノと一時期呼ばれたりもしていた
SMの世界だという物語。
私は読んでいないけれど、普段は読書をしないパルが読み
それぞれに感想を教えてくれたのだけれど、
その感想だけで十二分に楽しかった。
カナダのパルが「久しぶりに読破した本だった…」と恥じらいながら
少女のように語ったり、
ロンドンのパルが「SMのSはああいうのではない」と語りだして
通だったの?これ、なんのレクチャー?と絶句したり、
オランダのパルが「誰にも言わないでよ!」と読んだことを
すごい打ち明け話のように語ったり…
どんな秘密を打ち明けるのかと思ったら
『フィフティ・シェイズ・オブ・グレイ』を読んだ、っていうだけ?
あんた、いくつやねん!(私と同じ年)と突っ込んだり。

60代以上の4人の女性たちが『フィフティ・シェイズ・オブ・グレイ』を
読みながら人生の冒険を始める。
高齢者版の『セックス・アンド・ザ・シティ』か?
と思いながら最初は観てしまったけれど
見終わった感想は「羨ましい!」の一言に尽きる。

40年続く友情の難しさを知っている年齢には
40年続けているブッククラブなんて、素敵以外のなにものでもない。

日本ではあまりメジャーではないブッククラブ、
海外ではとても人気で、読書が趣味だと言うと、
「ブッククラブには入ってる?」と聞かれる。
パルの中には4つのブッククラブに入っている、という人も。
それは強制的に読まないといけない本が4冊。
義務的に興味のない本も読まないといけないけれど、
中には発見がある、それがブッククラブ。
でも、感想を言い合うって、自分の価値観出てしまうし…と
ブッククラブには及び腰になってしまうけれど
映画の中ではそれぞれが楽しそうだった。

”Evidence of The Affair"

”人情を感じる一冊”と誰かが紹介していた気がする。
ハートウォーミングな話、大好きです!
さすが作り話の世界!と思わせるようなものよりも
ありがちな人情味あふれるストーリー希望…と思って読み始めた。

いや、タイトルから、これをどうやったら心温まる物語に
していくのだろうかと訝ってはいた。
”Evidence of The Affair" (不倫の証拠)

あらすじは、一通の手紙が男性のもとへくるところから始まる。
「私の名前はキャリーです。あなたの奥さんからうちの夫が
性的な関係もあるだろうと示唆されたラブレターを
受け取っているのを見つけてしまったのです。
あなたの結婚生活もあなたのことも知らない私からの
悪い知らせにさぞ驚かれたことと思います。」
というような丁寧な文面。

こんな気遣いにあふれたお手紙、素敵~。
私もいつの日かに備えて、文面をメモしなければ!と
ノートにメモろうとして気づく。
こんな手紙、書く日って…どんな日?

本は100ページ未満で、手紙形式で進む。
不倫された妻が、不倫相手の夫に手紙を出し、
不倫中のラブラブな手紙も発見し、それをまた慰めあい…
これ、いつどこで心温まる物語に展開していくのだろうかと
思っている間に終わる。

不倫されて自信喪失していた女性が自信を取り戻し…
というところがハートウォーミングなのか???
結末を読んだ感想、「怖っ!!」でしたけれど。
なにが怖いって、Amazonでもgoodreadsでも結構な高評価だったこと。
この結末もいいってこと???と呆然。
33冊目、たった87ページ。
さくっと読める。ハートウォーミングではない。
「えぇ?!」という結末の恐怖におののくには十分。
いや、これ、私の読みたかった本と違うわ~と私は思ってしまったけれど。

もしかして、私が知らない間にheartwarmingの意味が
変わっているのかしら?と辞書で調べちゃった。
heartwarming:心温まる
だったので、ほっとした。当たり前か。

タイプ

他人からの「そう思われていたのか!」とドキっと
することがある。
以前は英語で話すときの私と日本語の私にかなりギャップがあって、
英語を使って話す友人たち、
つまり海外のパルたちに「メイって、フレンドリーね~」と
言われて、おほほほ…と思ってた。
しかし、最近はカナダのパルに
「メイって、いつもなにかと戦っている戦士よね」と
言われたり、warrior(戦士)ですって!
アメリカのパルに「日本人をあまり知らないけれど、
それでもあなたが一般的ではないとわかる」と言われたり…(日系企業で働いていた人…)
ロンドンのパルにはもちろんばれてた。

数日前に事なかれ主義の人への怒りを
ロンドンのパルにぶちまけたところ、

"He just wants an easy life.”
(彼はただ楽な人生をがいいのよ。)
”Not you all up in arms about the latest indignation 
from a volunteer role, "
(ボランティアの役割からくる最近の憤慨に
あなたがいきり立っているのとは違って。)

up in arms:憤慨する、いきり立つ
(小説の中にもよくでてくる表現で、見つけるたびに、
「そうか、お前さんも怒っているのか…お疲れ様」と同情する。)

数日前、友人と彼女の友人(私はあまり知らない)と私で
話をしたときに、好きな男性のタイプについて話した。
「女子高生かよ!」と女子高生の娘に突っ込まれたけれど、
最近の芸能人を誰もわからないので、私は彼女たちの言うイケメンを
ひたすら検索して画像で確認していただけ、が正しい。
そんな状態なので、「好きなタイプは芸能人の~さん!」と
名前がでてくるわけもなく、「わからないわ~」と私が言うと
友人に言われた。
「メイのタイプは、上からモノを言わない人、
アドバイスしてこない人、メイより知的な人」

・・・なぬ?私って、そう見られてるの?!と
そのときは密かにショックを受けたけれど
当たっているのかも…と考えると改めてショックを受けた。
なんだ、意外にわかりやすい人なんだな、私、というショック。
それというのも、ロンドンのパルにも同じことを前に言われた。
「あなたのタイプ、私はわかってるわ。
とにかくあなたに指図したり、アドバイスしない男性よ。」と。

友人の友人には「メイさんって、難しい人なんですね」と
笑顔で言われた。
なんだかすごいことを言われているのに耳を素通りして聞けた。
笑顔って大事だわ~。

 

”The Thursday Murder Club”

「いま読んでいる本は?」とスイスのパルに聞かれた。
そのときに読んでいた本を今日、やっと読み終わった。
"The Thursday Murder Club"

 

続編が出るほどの人気シリーズ…。
スイスのパルには「”殺人”っていうタイトルだけで、
私はワクワクするわ!」と言われたけれど、
私は読みながら何度も思った。
「なぜ、またミステリーに手を出した!!」と。
日本語でも読まないミステリーを英語で読んでみたら
「あら、面白い!」なわけない。

日本のミステリーもあまり好まない私が読んだ感想
ではあるけれども、なかなかひねりが効いていた。
「もしや、この人が怪しい?」と思った人はことごとく善人で、
善人だと思っていた人が犯人。
しかし、犯人でも善人!
「誰でもいいから」とか「むしゃくしゃしていて」なんていう
理由で事件が起きる現代社会に慣れていたけれど、
それぞれの事件の裏の人間関係や複雑な心理に犯人がわかっても
気持ちが全く晴れない。犯人に同情してしまう。

それでも、70代、80代の高齢者たちが人脈と智慧
昔とった杵柄で推理していく様子は年齢を重ねていくことへの
心強さを感じる。
いや、みなさんお元気だわ…。
本を読み終わって、よっこいしょと重い腰を上げて
散歩にでかけたとき、気分は70代だった。

面白かった?と聞かれると、★3つ。
序盤の進まなさに脱落しなければ、3割超えたあたりからは
続きが気になる~と読み進められた。
私の洋書読破32冊目、めでたく300万語を超えた。

洋書の選び方、単語の難易度や語彙数で選んでいた時期もあった。
ご親切にも”洋書 中級”と洋書レベルを示してあって、
しかもおすすめの本も!というブログやページを読み、
本を選んできた、途中まで。
そして、気づいた。
「私、この人たちと本の趣味が違うわ…」と。
誰かが絶賛する本が私には全く響かなかったり、
2ページで脱落したり…と山ほどして気づいた。
面白い本は自分で探すしかないのか…と。

ミステリーはいやだ、
人が死ぬ話はとりあえず泣けるから嫌だ、
(どんなご都合主義の物語でも誰か死ぬと泣ける、
そういう単純な自分が嫌になるから)
不倫や三角関係のドロドロはしんどい、
若い女性の恋愛も、もうついていくエネルギーがない、
そんな私が面白く読める本って、なに?!と探し中。

ラッキー

スイスのパルから「手紙が届いた!」というLineがきた。
彼女は私より20上で、すでに成人したこどもが二人いる。
「あなたは周回遅れの私を見ているようだ」と言われたことがある。
私も早く成人した子どもがいて、と落ち着きたい。

彼女とは毎月の手紙以外にもメールもくれば、
Lineもくる。
今回はLineで「あなたの家族、一体、どういう順番で
いつコロナに罹患したの?」と聞かれた。
かくかくしかじがで…と話した後で、
「コロナ感染後に失ったと書かれていた味覚は
戻ったの?」と聞かれた。
味覚; sense of taste

私の場合、1か月くらいで戻った。
花子はまだ自称バカ舌のようで、繊細な出汁の味はわからない、と。
知り合いの女性は味覚が数か月経ても戻らず受診したら
「コロナの後遺症で味覚を失うのは女性が多い」と言われたらしい。
その内戻るでしょ~と私は思ったくらいだったけれど、
そういうわけにもいかない人もいる。
スイスのパルが、「一流シェフがコロナ後に味覚を失い、
職を辞した」という話をしていた。
シェフには味覚を失うことは仕事に直結することかも。
まさか彼もコロナになって味覚を失い、仕事を辞めざるを得なくなる、
なんてことは夢にも思わなかっただろうに。

そんな話をロンドンのパルにしたところ、
イギリスではコロナの後遺症の倦怠感で仕事ができない人もいる、と。
日本でもコロナ後にも倦怠感が強く残って仕事ができない、
なんていう話をニュースで見聞きする。
イギリスでは"Long Covid"と呼ばれているらしい。

コロナに感染したけれど、家族の誰も大きな後遺症もなく、
順調に回復した状況に、”ラッキーだった”と思う。
ただ、ラッキーだっただけなのだと。
「コロナに感染しても、これくらいなのね!」と感染して
言っていた人たちもいたけれど、
私は「幸運だった」と思った。
軽症で済んだことに、家族の誰も入院しなかったことに、
多分、家族以外を感染させなかったことに。
なんだか最近、”ラッキー”や”幸運”の重みが以前と違う。
紙一重だった人たちの存在を知るようになったからかもしれない。