ショコラ日和

海外文通を通して、世界の友達と井戸端会議しています。

相談する

中2の太郎の成績に苦労している。
花子が中学生の時思っていた。
「勉強できない子は勉強時間が足りてない。」と。
タイムマシーンで過去に戻れるなら、過去の私を正座させて説教したい。
勉強をやってる子もいるんだよ!
花子の数倍、太郎は勉強しているんだよ!
それでも、結果がついてこないんだよ!黙ってて!!と。

花子には効果のあった集団学習塾、太郎には全く合わなかった。
3か月で撤退し、個人指導に切り替えた。
オンラインでマンツーマンで、英語と数学を別の先生に。
英語の先生は若い女性の先生で、とーってもほめ上手。
「いや、太郎君、すごいね!」
「太郎君、できてる!」
「たろうくん、がんばったね!」と大安売りの誉め言葉。
太郎は毎回、「今日もほめられちゃってさ~」とウキウキ。
ちょろい…。
英語は平均点ちょっと下くらいだったのに、
気づくと平均点より20点上に。定期テストでも実力テストでも。
そうなると、先生もほめる、太郎も調子づく、成績もついてくる…
先生もほめる…という良いスパイラルに現在入っている。

一方、数学、こちらはベテランの温和な男性の先生にお願いして半年。
成果がでない。
ちょっと先生を変えたほうがいいのだろうか…と事務局の人に
相談した。
正直、学習量はすでにある気もするし、教え方にそう大差もない気もする。
太郎がすごく嫌がるわけでもない先生なので
相性も悪くないのかもしれない。
ここはどうするのが正解なのだろう、と話した。
相談するつもりはなかったのだけれど、世間話(どこでもするのが
おばちゃん…)をしていたところから、つい。

「個人的な感想として、メイさんはもう太郎君に合っている先生が
すごくよくわかっていると思う。
持ち上げて、気分良く、やる気にさせてくれる先生ですよ。
人間としての相性がいまの先生とは良いとしても、
太郎君の成績を上げるという点での相性は良くないんだと思います。」
と言われて、ものすごく腑に落ちた。
悪い人ではない、けれど、成果がでてない…。
それ、塾の先生には致命的だけれど。

事務局の人と話していて、気づいたことがある。
(誰かと話すと自分の意見がまとまるので、話すってやっぱり大事!)
私自身(親)にも連絡をしてくれる先生を私が希望していること。
例えば、前出の太郎の英語の先生、
宿題の内容、授業の内容に始まり、要望を聞くことも忘れない。
さすが文系!コミュニケーション能力が高い!

保護者へのメールが辛辣すぎて限りなくレッドに近いイエローカード
事務局からもらっているという花子と次郎の数学の先生
”ザ、職人!”で、言葉のひとつひとつがきつくて、
「言葉を選ぶって知ってます?」と思うことは確かにあるけれども、
何気に、要所要所で進捗状況を教えてくれる上に
「テスト対策をしてほしい」などにも柔軟に対応してくれる。
そう考えると、太郎の数学の先生とは何度連絡を取ったか…。
意思疎通という面ではできていなかったように思う。

事務局の人に相談し、数人の別の先生を紹介してもらうことになった。
今回”太郎に合う”先生として紹介されたのは
ほめ上手の若い数人の女性講師、
「生徒さんたちの心を掴むのがとても上手です」というコメントがあった。
英語の先生と同じくほめ上手なのだろう。
そのほかにも数人の温和でおっとりとした男性講師。
これから体験レッスンの予約をしていきたいと思う。
学習時間に見合う結果が出てほしいと思うことは
そんなに高望みではないと思うのだけれど…。

考える

数週間前、突然、中学生の太郎が言った。
発展途上国の〇〇(国名)に鉛筆を送る活動を生徒会がするから
鉛筆の寄付をしたい。」と。
こういうとき、ほかの保護者はどうするんだろう。
「はい、どうぞ~」と渡すのかしら。

私はつい聞いた。
「なんで、〇〇?なんで鉛筆?」
太郎は私が「なんで鉛筆?」と聞いたことを
鉛筆をけちって寄付したくないと思ったようで、
「使いかけの鉛筆やノートでもいいから、文具を寄付するって。」と
言い出した。

・・・使いかけ?
短くなった鉛筆を先進国の日本の裕福?な生徒たちが
発展途上国のこどもたちに寄付するって?
それ、失礼過ぎない?
貧乏なこどもたちなら使いかけの鉛筆でも喜ぶだろうって?
それ、本気でそう思っているの?
聞いていて悲しくなったのは私だけか?

夫は「ちょっと失礼な気がするけれど、何かをしたいと
思う中学生の気持ちはいいことだと思う。
ただ、鉛筆1本、ノート1冊でも送料がかかるけれど
その送料は?鉛筆数ダース送る送料を考えたら
その国で鉛筆を買うほうが日本から送る数倍鉛筆が買えるけれど
そこはどうなの?」と太郎に聞いた。

「日本の文具は高品質だから喜ばれるに違いない。」と
太郎は言う。
いやいや、その国でモノを買えば、その国の工場も喜ぶし、
そこで働いている人も喜ぶ、量も多く買えてこどもたちも喜ぶ。
寧ろ、日本から送るメリットを聞きたい、と
私と夫にいろいろと突っ込まれ、
「募金をしろってこと?」と中学生の太郎は言い出した。

いや、その安直な発想もよくない。
中学生がたくさん募金できないし、それはそもそも親のお金。
中学生として何ができるか、有り余るお金はなくても
有り余る時間がある中学生なら、もうちょっと自分の頭で考えたら?
それこそが中学生にできることなのでは?と太郎に言った。
使いかけの鉛筆はもちろん新品の鉛筆も持たせなかった。
発展途上国がたくさんある中で、なぜいまその国なのかもわからず
本当にその国が”使いかけの文具”を希望しているのかもわからず
ただのごみになるかもしれないものを送料かけて送るなんて
そんな無駄遣いは無理、もっと親を説得できる情報がいる、と
太郎に伝えた。

付け加えるなら、貧しいこどもたちは海外だけの話ではない。
日本にも夏休み明けには体重減少しているこどもたちが増えている。
(夏休み中は給食がないため)
なぜ海外のその国限定?貧しい国はたくさんあるし、
日本にも貧しいこどもたちがいるのに?

中学校で開発途上国への教育支援をしているNGOの講演会があり、
そのときに文具の寄付をと生徒会が考えたことだった、と
講演会後に太郎を通じて知る。

講師は大企業で働き、家も車もありとあらゆるものを手にし、
旅行先の国の教育や貧富の差に衝撃を受けたらしい。
「講師の先生は、まずは夢を一生懸命に追いかけ、
余裕ができたら周囲を見渡してみてほしい、と
話していた。
使いかけの文具の寄付とか浅いことは一言も言ってなかった。」
というのが太郎の講評。

中古を発展途上国へ、発展途上国なら中古品でも
使いかけでも喜ぶだろう、そういう姿勢は同じ人間に
失礼すぎるよ、と太郎に切々と語った。
高1の花子が小学校を卒業するとき、「古いランドセルを寄付しよう」
と担任の先生が言った、と花子が言った時も
「花子がボロボロにしたランドセルは誰かにあげれるレベルではない。
日本の友人に送れない、そのレベルのものを
海外の発展途上国のこたちなら喜ぶだろうという上から目線の
援助って、失礼だと思わない?」と花子にも話した。

新しい服を買いたい金額で、
欲しい本を買おうと思っていた金額分、買うつもりのアイス分、
そんな気持ちが中学生には相応だと思う。

Miss Hokusai

海外の友人たちのほうが日本文化に詳しいことが
多々ある。
例えば、コロラド州のパルから「この前、〇〇教会で学んできた」と
いう報告をよく受ける。
〇〇には新興宗教が入る。
これが1つではなく、何か所?いくつの新興宗教の勉強をしているの?と
思うほどに私より日本の新興宗教に詳しい。
一応、そのときそのときに”助け”を求めて学習会に参加しているもよう。

ロンドンのパルは中世文学を大学で専攻し、詳しい。
私が大学の過去問の”赤本”について語ると、
「江戸時代の赤本とは区別しているの?」と聞かれ、
意味が分からなかった。
江戸時代、草双紙(くさぞうし)という娯楽本があり、
赤本、黒本、青本黄表紙とあった、と
ロンドン在住のイギリス人から講釈される日本人…。

ロンドンのパルは鎌倉、室町、江戸が大好きで詳しい!
ということはわかっているけれど、たまには私も
ドヤ~!!と語りたい。

先日、ふと葛飾北斎の娘の話になった。
「昔の芸術家になぜ女性はいないのか?」と中2の太郎が言った。
芸術家の女性はいた。
ただ、彼女たちの作品が評価されなかった、
残らなかった、もしくは男性の名前の下に隠れた、
というときに例に挙げたのは葛飾北斎の娘。
晩年の葛飾北斎の画風が変わっていて、葛飾北斎の娘が描いた、
なんて言われている。

という程度にしか知らなかったので、私も調べてみた。
葛飾北斎の娘、絵の才能があったのは三女の栄、
ということで葛飾北斎には3人の娘がいたことを知る。
栄の雅号は葛飾北斎がいつも「おーい!」と栄を呼んでいたことから
応為(おーい)。
お栄さん、怒っていいよ、そういう雅号のつけ方をする父親…と
思った。
二葉亭四迷を思い出す洒落た名前だとは思うけれど。
二葉亭四迷、くたばってしまえ、からというのは有名な話)

そんな応為の浮世絵、”東洋のレンブラント”と評価されるのも
納得の美しさだった。f:id:bitter-chocolate3:20220627100223j:image

これを海外の絵を見ずに、浮世絵で完成させるって、
才能だわ…と惚れ惚れし、ロンドンのパルに報告。
葛飾北斎の娘を知っている?と。
ロンドンのパルからすぐに返信が来た。
"Miss Hokusai"と。

先週、そのアニメを見たわ~面白い映画だったわよ、と言われた。
またしても先を行かれた。

英語と10代

数日前、友人に聞かれた。
「ところで、メイの英語力はどのくらいなの?と
知り合いに聞かれたのだけれど、どのくらい?」と。

英検で言うと…とかTOEICで言うと…というようなものは
なにも持っていないので、こういうときに困る。
いや、困ってないから取ってないんですけれど。
そもそも、私の英語力を誰かに伝える必要もなく…と思いつつ
前にもチェックしたCEFRの簡易テストをして
Advanced(上級)をゲットした。
以前は文法より、リスニングのほうが正答率が高かったのに
今回はリスニングのほうが低かった…というよりも変化がほぼない?
という正答率でした。
っが、コメントに「なじみのない話題でもはっきりと発音された
スピーチであれば要点を理解できる」と書かれていて、
若干、イラっとした。
その通りだよ!!
はっきりさえしゃべってくれたらわかるんです!
ぐぅの音も出ないことを書くなよ!

そんな話をロンドンのパルにしたところ、
「私が知っている人たちに比べて、あなたの英語は本当に上手よ。
まぁ、他人と比べることに意味はないと思うけれど。」
と言われた。
なんだか満点な言い方だなぁ、と感心した。
それでも、”証明書”を見せろという人は一定数いる。
正直、「私の語学力をなぜあなたに証明しなければならない?」と
思ったけれど。今回はただの”気まぐれ”です。

Advanced(上級)認定を取ってから、ちょっとルンルンしていたら
高校1年生の花子が英語のレポートを見せてきた。
英作文のレポート。

「第一印象では~だと思ったけれど、実際は~だった。」というような
文章があり、そこを"I guessed"で始めていた。
guess:推定する、
という意味で使っているんだろうけれど、こういうレポートって
"I think"で始めたほうがいい気がする…というかI guessをこういう場で
使っている文章を見たことがないような…とロンドンのパルに聞くと、
「guessは本人もよくわからないときに使うから、ここはI thinkよ」
と返事がきた。

ほかにも日本文化紹介レポートも「Let me introduce about ~」と
(私に~を紹介させて)という書き方で始めていたのも
実は気になる。ちょっと気になる。
私なら…"I'd like to introduce"で始めたいんだけれど…
とロンドンのパルに話すと、
"Let me introduce about~”って、直接的でアメリカ人の好きそうな
表現よね。
私なら、"Today I'm going to talk about ~”で話し始める、と。
イギリス人は直接的ではない表現を好む、なんて話を聞いたけれど、
let me talk about と I'm going to talk about、
私にはどっちも直接的表現にしか聞こえませんけれど…。
「イギリス人、特に女性は受身表現で話すことが多いよね」と
ロンドンのパルは学生時代に教授に言われたらしい。
「わかったよ、その教授の国籍が。アメリカね。」と話すと、
その通りだった。

なんていうような話を英語のレポートの参考にと高校生の花子に
話した。「ロンドンのパルがguess よりthinkだと言っていたよ。」と
伝えたにもかかわらず、「guessでいいの!」という
とても従順で謙虚な、学びに真摯で積極的な回答を得たことも
ロンドンのパルに報告。

I was just thinking... ah the confidently incorrect of youth
(ちょっと考えていたわ…若者の根拠のない自信って)

これが10代よ…。ティーンエイジャーってやつよ。
うちの16歳も10代満喫中で、最近は「花子!」と呼んでも無視をするので
「お母さん!」と呼ばれたときに無視していたら、
「なんで無視するわけ!?」とキレていたので、
「花子の真似」と言うと、弟たちが顔を見合わせて笑うのを
我慢していた。私の勝利目前だったハズが、
「そういうの、できるのは10代だけだから!」と花子に言われた。
キィー!!!と思っている親は私だけではなく世界中にいると思うと、
ちょっと安堵する。

過去に戻ったら

NHKのHPで見つけた特集に目が釘付けになった。

www3.nhk.or.jp『母親になって後悔している』という女性たちの言葉を
まとめたイスラエル社会学者の本。

この本は「今の知識と経験をふまえて過去に戻れるとしたら、
もう一度母になることを選ぶか」という質問に
「いいえ」と答えたイスラエル人の
女性23人にインタビューした内容をもとに構成されています。

この本に賛否両論が巻き起こり、しかも著者には殺害予告まで…。
まだ読んでもいないけれど、
最初の感想は「母親を神格化しすぎでは?」と私は思った。

「今の知識と経験をふまえて過去に戻れるとしたら、
もう一度母になることを選ぶか?」
そう聞かれて、「もちろん!」と即答する女性は、
多いだろうか、と正直、思う。
私なら、悩む…そして、「いや、産まない選択を次はするかも」。
ただ、「母親になって後悔しているか?」と聞かれると、
それは違う、とは思う。

母親になったことは後悔していない。
それでも、またいまの経験と知識を踏まえて過去に戻るなら…
どうすると思う?と友人に聞いた。
「結婚という選択すらしなかったかもね」と返ってきた。

そんな話を子持ちの友人としたとロンドンのパルに話すと、
「こどもが生まれて2年。私はすごく変わった。
夫は全く、何も変わってない。彼は変わることなく生活できる。
私は仕事に復帰することすらできない。
核家族は先進的な家族形態だと学んできたのに、
いま核家族で、一人で育児をしている私はただただ、みじめよ。」と
話した。40年前の話ではなく、今、2022年にイギリス人女性が!

それは数年前の私を見る気持ちだった。
社会から置き去りにされた気分になり、
言葉もろくろく離せない乳幼児につきっきりで
(目を離すと何を口に入れるかわからない、最悪は死ぬ…と
思うと目が離せない!)
睡眠時間も日常的に足りていないので、
前向きな発想がでてくるはずもなく、
こんなはずじゃなかった…と愚痴りたいけれど、
愚痴る相手も選ばなければ、「赤ちゃんなんてかわいいものよ」とか
「それもいまだけ」とかなんの気休めにもならないことを言われ…
この瞬間を楽しめない、なんだかこどもがたまに嫌になる、
それって母親失格なのかしら…と追い詰められていく。
その先に事件が起きていたかもしれない、という紙一重の感覚は
多くのママさんが経験していると思う。

そんなことを思い出していたとき、ふと気づいた。
日本の私の友人たちは私を含めて”選択”という言葉をよく使う気がする。
結婚も出産も”母性”もない。
そこにあるのは”私の選択の結果”だと。
ひとつの”選択”の結果かもしれないけれど、
”母親になる”という選択は、ほかのどの選択よりも
女性の選択肢を極めて狭めていると思う。
その選択は、散髪や服装のテイストや色を決めることとは全く違うし、
歯の矯正をするかどうか悩むこととも違う。
自分のことのようで、自分のことではなく、しかも人生が変わる…。

本を読む前から、こんなに考えさせられる本。
読むのが楽しみ。

下降よりは上昇で!

ここ数週間、やたらと言われた。
”野心的”だとか”上昇志向”だと。
インディアナ州アメリカ)の仲良しパルにも
「あなたは結果を求めるし、
より高みを目指していて、そのために頑張っている」と
指摘されて驚いた。
アメリカ人が言うほど、私は野心的ってこと???
日本では野心的でもアメリカに行けば一般的かと思ってたけれど…。

高い目標を掲げて、それを目指すことは批判される
ものではないハズなのに
なんだか”悪”のように言われるのは何なのだろう…と
モヤモヤしていた。

なんなのかしら、これ…とロンドンのパルに話すと、
「それって、あなたが”女性”だからで、
きっと男性だったら上昇志向で高い地位を目指そうと
誰も悪く言わないのよ。寧ろ、褒められるのよ」と言われた。

I think you just don't fit the mould of
'docil mother figure'that is culturally normal.
And this shocks people.
(あなたが文化的にふつうの”従順な母親像”に当てはまらないから
だと思う。それが、人々に衝撃なのよ。)

それでも、日本人に”上昇志向”って思われるのと、
アメリカ人に”上昇志向”って思われるのとは違う気がする…
文化的にアメリカなら上昇志向を厭わないと思っていたわ、
と話すと、
「そのアメリカの友人の年齢も何も知らないけれど、
小さなことを騒ぎ立てるなっていう育てられ方をしたのでは?
と思うのは、イギリス人からの視点のひとつね。
でも、時には騒ぎたてる必要がある問題もあるわよ。」と。
・・・イギリス人から見たアメリカ人、そうなの?!と
違う視点とロンドンのパルの意外な意見に驚いた。
えっ?そんな価値観だった?!と。

私のいままでのイギリス人やアメリカ人と付き合ってきた
感想、個人的なイメージとしては、
イギリス人のほうがルールに忠実で保守的、皮肉屋、
アメリカ人はカジュアルでフレンドリー…だったんだけれど、
と混乱してしまった。

「私はあなたはいつも誰かの代弁者になっていると思う。
自分の意見を言うこともあるけれど、それも自分自身のためではなく
誰かのために、ということが多くて、
誰かのために情熱をもって行動するって
”女性として”日本ではイギリスより難しいだろうとも思う。」
女性っていうだけで、低く見られたり、
相手にされないことはアメリカでも一般的なようで、
学校の先生をしているアメリカ人たちに学校に
ちょっと意見を言う話をすると、
「夫を連れて行くのよ!きちんと向き合ってもらえるように」
なんて言われて、びっくりした。
それって、アメリカでも女性だと見くびられるんだ…。

本の学校にか弱い女性だけで行きましたけれど…
(ほぼすべての人に”おとなしそうに見えた”と
第一印象を言われるんです、私。
内面が出ちゃってるってことか…)
私が発言するときは学年主任が背もたれから背中を離し、
姿勢を正したのが印象的でした。
鬼のマナー講師がいれば、きっと
「そもそも他人の話を聞くときに背もたれに
もたれるな!!!」と指導してくれたかと。
管理職相手ならそんな態度で聞かないだろうけれど、
か弱そうなおとなしそうな女性保護者相手には
こういう態度をとるわけね…。
人で態度を変えるって、最低だな、と。
そんな話をロンドンのパルにすると、
"The gloves came off!" (手袋を脱いだのね!)

手袋…いえ、日本はもう初夏で…と違和感を感じて調べたら、
「やったるで!」みたいな喧嘩の始まりらしい。
日本語で言うなら、「腕まくりして…」「表へ出ろ」?
体育館裏への呼び出し?堪忍袋の緒が切れた?
決闘のときに手袋を投げつける、あのイメージからのよう。
大人な対応をしていたのに、もう限界で容赦しないわ!といったときに
使える表現のようで、ぴったりな表現。

立ち上がることを恐れず、
責任を持って多くの人ができない正しいことができる、
あなたはそういう人なのよ、
だから代弁者として学校にも付き添いをお願いされるし、
というロンドンのパルの言葉がとても胸に染みた。
座右の銘を思い出した。

Do what you feel in your heart to be right

-for you'll be criticized anyway. 
                     Eleanor Roosevelt
(あなたの心が正しいと思うことをしなさい、
どちらにしても批判されるのだから。
            エレノア・ルーズベルト

 

当たるも八卦当たらぬも八卦

手相を観てもらった。
前に手相を観てもらったのも6月。
1年に1度は手相を観てもらいたくなるのか?!

bitter-chocolate3.hatenablog.com


今回は二人の易者に手相を観てもらい、
結果が結構、反対だった。
もちろん良いほうを採用する!

その前に、私が手相をまた鑑定してもらいたくなったのは
線が増えている!とふと気づいたから。
しかも、これ、良い線なのでは?とネットで調べること数日、
結構、流派?によっていうことが違う。
どっちかが正しいのか、微妙な線の長さや場所で違うのか…
と迷ったので、プロに観てもらうことにした。

私の手相は二重生命線で二重感情線なので
(いままでに5人に観てもらい、5人とも言ったので)
簡単に言うと、「すべてが二倍!」らしい。
エネルギーもパワーも喜怒哀楽も…。
「そんなの、鑑定してもらわなくても知ってたでしょ?」と
友人に突っ込まれたけれど、私にはこれが”標準”なので。

そんな私の手には運命線がないことが気がかりで…
いつでてくるんだ、運命線!
まさか、出てこないのか運命線?!と去年、手相を観てもらったら
「サポートに徹している」
「いまがピークで下り坂」
「いままでおんぶにだっこで生きてきましたね」みたいな
散々な鑑定だった。
当たってませんけど!!と思っていた。

その1年後、私の手相には努力線、向上線なるものが
にょろ~とでてきた。
ほかにも、人に恵まれて引っ張られる線もでてきていて、
誰がいつ私を引っ張って幸運を恵んでくれるんだろうと
わくわくしていたら、名誉職のお仕事が舞い込み、
これか…とちょっと思った。
一攫千金のお仕事じゃないのか!?と残念に思ったけれど、
今回の手相を観てくれた易者さんが
「あなたには財産が入るポイントがいくつかあるけれど、
これはお金を意味するものではないかもしれない。
人に恵まれるというのも立派な財産ですよ。」と言われ、
妙に納得した。

私の二重感情線、なんだか年々、伸びてきていて…その
延長具合も気になっていたのだけれど、
「高い理想を持ち、追い求める人ですね」と言われて…
お世辞でも素敵。

にょろ~っとでてきた運命線は、自力で開運する力を
持っている努力家の相に、成り上がり線に…
”稀な吉相の見られる縁起の良い手相”と言われたので
満足…。また1年後に手相観てもらおう。