ショコラ日和

海外文通を通して、世界の友達と井戸端会議しています。

職業


特定の仕事をしていると、つい醸し出す雰囲気があると思う。
保育士さん、学校の先生、公務員、医療関係者…などなど、
「あぁ~、そんな感じ!」な人は多い。

私の醸し出す雰囲気や所作、持ち物から私の職業も
各種、予想されている。
たまに、「お仕事は〇〇ですか?」と聞かれると、
そのたびに、私はそう見えているのか!と、
とても新鮮な気持ちになる。

いままで言われた職業…
学校の先生たちからは2回の謝辞の結果、
「スピーチライターですか?」と2,3人に聞かれた。
あら、素敵な職業ですね、と言われるたびに思う。
ピアノの発表会で保護者代表挨拶をしたときにも
「スピーチライターなんですか?」と複数人に聞かれた。
えっ?スピーチライターって、そんなにメジャーな職業なの?
日本で?と”スピーチライター”という単語を聞くたびに思う。

こどもの病院で、医師から「英語を使う職業ですか?」と
洋書を読んでいると聞かれた。
興味のあった論文を読んでいるところも目撃され、
「大学の先生ですか?」とも聞かれた。
どちらも違う。

裁判員をしたとき、同じ裁判員の方々からは
「法律関係の仕事ですか?」と聞かれた。
法律関係の仕事の人は裁判員になれないことが多いけれど…。
法律に興味があるので、一般より多少、詳しかったらしい。
裁判官の方々にも「そんなことも知ってるんですか?」と
驚かれたので、かなり詳しかったのか…。
いやいや、一般人の知識も想像よりあるってことですよ、と
私は思っている。私より法律の知識があって、仕事にもせず、
資格も持っていない一般人は絶対にもっといると思う。

さて、本日、新しい職業を聞かれた。
議員秘書をされていたんですか?」
議員秘書”…新しい職業ですね!とびっくり。
私の文章が少々専門的すぎたか、硬すぎたか…。
攻撃的にならず、批判的にならず、婉曲表現で批判…
(結局、批判する)した文章のつもりだったけれど。
私の文章を読んで、”日常的にこういう文章を書いている人”だと
思ったらしい。こういう文章を日常的に作成する人…
議員秘書”か”パラリーガル”だったらしい。
どちらも違うけれど…。

多くの政治家や著名人が職業を”母親”と答えていたりする。
それを見聞きするたびに、複雑な思いになる。
ストレスいっぱいで、無休で、無給で、サンドバッグのように
扱われて、自己犠牲の精神で成り立っている、
そんな職業、私はまだ自慢げに答えられない。

衝撃

現在、日々を忙しく過ごしている。
息子の高校入試結果発表までに、各種、詰め込んでいる。
用事でいっぱいにしておかないと気になる。
「動悸が収まらない」と実家の母も気が気ではない様子で
毎日、「今日の太郎はどうだい?」と聞いてくる。
私と実家の母は動悸がするし、血圧は高いままだけれど、
太郎は糸の切れた凧よろしく遊びまわっている。
あんなに能天気に発表までを過ごせたら、幸せだろうなぁと
思わずにはいられない。

入試後に卒業式があった。(発表はまだ!)
太郎は「卒業式後に卒業アルバム見せるわ」と意味深なことを
数日前から言っていた。
そして卒業式、着物を着た私は想像以上に草履が痛くて
写真撮影もそこそこに「先に帰るよ」と帰った。

卒業式は、まさかの先生が「もう感情が爆発して言葉が出ない」
「涙がこらえられない」というほどの感動的なシーン、
涙が一滴もでない。
あちこちで泣いている保護者がいた。
・・・この先生、不登校の原因になったトラブルの相談に行ったとき
「部活があるんですけれど。」って言ったんですけれど。
我が子のことではなく、付き添いで私はいっただけだったけれど、
つい「部活と不登校と、どちらが大切ですか?」と聞いてしまった。
その後は背もたれにもたれて、ふんぞり返って話を聞いて
くださいましてね…。

その面談場所に案内してくれた先生は個人情報満載の
進路資料室に通してくれて…
おいおい…と呆然としていたら、ほかの先生がいらっしゃって
「こんなところに入られては困ります!」と怒られた。
鍵がかかっていた進路指導室に勝手に入れたと思いますか?
案内されて、待機するように言われたんですけれど?と
つい言ってしまったら、無言で別室へ案内された。
スマイルも謝罪もきっと有料…
生徒には「大きな声であいさつを!」って言っているらしいけれど。
各種、素晴らしい反面教師を揃えている中学校です。

「僕たちが至らないばかりに、生徒にも保護者にも迷惑をかけた」
なんていうスピーチについ「本当にそう!」と頷きそうになった。
学校や先生の適切ではない行動の結果、
生徒間トラブルが全く終焉しなかったことがあった
当事者だったママ友を見ると泣いてた…。
ちょっと、あなた2年前のアレを忘れたの?
警察沙汰にまでなったじゃん!

そんな卒業式、それよりも最大の衝撃は太郎の卒業アルバム。
「彼女を大事にしろよ!」と、ほぼ全員から書かれていた。
ちょっと、誰?
まさか…?と聞くと、想像した女子生徒の名前がでてきた。
夫は「写真!写真!」と言うので、卒業アルバムを
見せようとすると、太郎が「今日、撮った」という
卒業証書を前に持ったツーショット!
誰に撮ってもらったの?と聞くと、「おかあさん」
いやいや、私は撮ってない。
「”彼女のおかあさん”って、ちゃんと言って!」と
家族でぎゃーぎゃー騒いだ。
いや、もう最近の子についていけない、と実家の母や妹に
伝えると、向こうでも衝撃を受けていた。
不思議だけれど、他人の衝撃を見るとちょっと落ち着く。

アグネス・チャンが3人の息子たちに言った、という言葉を
私もいつかこどもたちに言うのかしら?と思っていたけれど
想像したより早かった…。
でも、言っとく!
"No drugs, No alcohol, No baby! "
(違法薬物禁止! 飲酒禁止! 赤ちゃん禁止!)
15の息子は言っていた。
「わかってる」…絶対、わかってない、これ…。

一応、聞いとく。「友達って言ってなかった?」と聞くと、
「友達として、なんでも話せて、気が付いたら…」と語る15の息子。
成長したな~と思うべきだろうけれど、
10年早いねん!!と喉まで出かかった。

 

『シー・セッド その名を暴け』

『シー・セッド その名を暴け』

 

シー・セッド その名を暴け

シー・セッド その名を暴け

  • キャリー・マリガン
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MeToo運動の火付け役になったニューヨークタイムズ
女性記者二人が記事を発表するまでの映画。

これが実話で、女優たちがそのままの名前で出ていて、
音声もあれば、本人役で出ている女優さんもいる。
勇敢な人って、彼女のことを言うんだなと思った。

「本人役で出ている人がいる」ということを前情報で知っていたけれど
正直、どの人が本人役かわからなかった。
他の多くの演じている人たちの中で、とても素だった。
実際は、こんな感じなのかもしれない。
発狂したり、絶叫したり、泣き叫びたくても
感情を出しすぎると信用してもらえず、過剰反応と受け取られる。
論理的に順序だてて…
恐ろしい目に遭ったのに、きっとこの人は論理的に
自分の発言の信用度を高めるためにするべきことをいつものように
しているんだろうなと思うと、鼻の奥が痛くなる。

秘密保持契約や示談で語ることを奪われた女性たちが
権力や契約で奪われた声を必死に出そうとした、
淡々と進むけれど、考えさせられる映画。

観る人によって映画の解釈はすごく変わると思う。
男性視点と女性視点でも、そのほかの人生経験でも。

数か月前、私も新聞社に情報提供をした。
複数社したけれど、興味を持ったのは1社だった。
その1社の取材で、記者クラブでの発表が行われ、
結果的に複数社が地域版で記事にした。
それでも、その記事はただの事実の羅列で、
そこには社会的正義も法律の抜け穴も救済措置がないことも
何も書かれなかったし、どこの新聞社も指摘しなかった。
同じ被害者がこれから出たら?これで終わり?とつい聞くと
記者は「訴えたら?」と。
たくさんのメモも音声データもあったけれど、
提供を促されることも確認されることも一度もなかった。
(全国紙だけれど)
新聞記者はジャーナリストかと思っていたけれど、
日本の新聞記者は組織人に過ぎず、求められる空き分量を書き
それで終わりなのだな、と思った。

映画の中の二人の女性記者たちを動かすものは何なのだろうかと
思いながら映画を観た。
同じ女性として戦う、という義憤に駆られているようにも見えず
ジャーナリストとして、というようにも見えなかった。
声をあげることを決めた女性たちが
「私がしなければならないこと」
「娘たちに同じ思いをさせたくない」と口々に語ることと
対照的だった。
私を動かすものは何なのだろう?と映画を観ながら考えた。

思い立ったが吉日


サウスカロライナ州のパルにメールした。
彼女から彼女の元(になりかけつつあったのに、
元になる前に)夫が非業の死(誰にとっての???と
思いながら。きっとみんなにとって)を遂げてから
彼女が混乱中のメールは何通か受け取った。
「あなたの気持ちをいつでも聞くわよ」という内容の
メールを返信した。
意見は書かず、気持ちは入れず、ただ寄り添うことを心掛けた、
と書くと立派だけれど、
「離婚調停中の夫が銃を片手に押しかけて、暴行、
通報で駆け付けた警官に発砲。
挙句の果てに、その場で拳銃自殺。
その葬儀をした、まだ妻だった友人」に、
なんてメールするのが正解なわけ?
マニュアルはどこ?
日本の発想でいいの?
同じ体験をしている人から参考に…って、そんな日本人、
いるわけない。
アメリカの正解は何?と私もパニックだった。

彼女も、パニックのまま私にメールを書いていることを
彼女のメールを読むと伝わってきていた。
10通ほど彼女から五月雨式にメールが来て、その後
ぱたりと来なくなった。
「ちょっと仕事も休む。故郷に帰る」という話だった。

そんなサウスカロライナ州のパルのことを
私はしばしば思い出していた。
彼女のちょっと癖のあるユーモアや読書傾向、
きっと彼女はこの本を読んだことあるだろうな、と
洋書を読むときに思ったりした。

長く彼女に連絡をとっていない。
日本人的発想で書いたメールで傷つけたくない、
何が正解かわからないから、と。
ただ、本当にそれが正解なのだろうか?
私のこの態度は彼女にどう思われるのだろうか?と昨日、
急に思い、久しぶりにメールをした。
正直に自分の気持ちを。
「ずっとメールをしていないけれど、
あなたのことをずっと考えている。
あなたが混乱しているだろうとメールをしなかった。
ただ、あなたが元気にしているかどうか確認したかったのよ、
友人としてね。
元気か、もしくはそうでないかだけでも教えてくれたらうれしい。」と。

I’ve been thinking about you too but wasn’t sure what to say :)
(私もずっとあなたのことを考えていたけれど、
なにを言えばいいのかわからなかった)

 Thanks for writing! (メールくれてありがとう)
I am deliriously happy. (すごく嬉しいわ。)
 My cup runneth over. (身に余る光栄よ)

彼女からは最近の近況が複数の写真とともに送られてきた。
彼女とほぼ同じ背丈になった息子くん、
彼女の弟や彼女の友人。
私も返信で家族写真を送ったところ、
「ちょっと!あなたが一番、小さくなっているけれど
どういうこと!?子どもたちがこんなに大きくなったの?
私があなたと文通始めたときは5歳の太郎が春には高校生ですって?!
あなたの夫は髭が灰色になっているじゃないの~!」と
近況報告だけで驚きの連続になった、お互いに。
彼女が元気そうでよかった。

『だれかに、話を聞いてもらったほうがいいんじゃない?』

『だれかに、話を聞いてもらったほうがいいんじゃない?』

 

カウンセラーに通うカウンセラーの話。フィクションなのかと
思いながら読んでいたけれど、これは作者の話?!
作者も精神科医
ハリウッドで活躍しているけれど嫌な奴、
70歳の誕生日に自殺しようと考えているうつ病の高齢女性、
末期がんの女性、
結婚目前だと思っていた彼に振られたことが整理できない主人公…。

カウンセリングを通して、自分自身で自分のことを理解する、
その過程は目を背けたくなる。
それぞれの行動の背景を知り、後半はティッシュが手放せない。

精神科医が書き、カウンセリングの様子などが主な物語なので
心理学についてもかなり詳しくなる。
”悲嘆の5段階”のような私でも知っているようなことから
ウルトラクレピダリアニズム(ultracrepidarianism)のような
初めて知る言葉も。
ウルトラクレピダリアニズム:自分の専門外のことについて
意見や助言を述べること。

以前から密かに思っていたことがある。
「女性は父親と同じタイプの人を好きになる」。
これは心理学的にも父親と同じタイプに親しみを感じ、
父親との関係が成功であれば同じようにうまくいくと思い、
失敗であれば違う人なので今度こそ!と思ってしまうらしい。

私の友人たちも父親と同じタイプを結婚相手やパートナーに
選んでいる。「うちの父の亭主関白なところが大嫌いだ」と
あれだけ高校時代に語っていた友人の夫は
「いまどき、こんな亭主関白いる?」と思うような男性。
父親の保守的な思想が嫌だった、と語っていた友人も
「超保守」な男性と結婚している。うちの父と同世代か?と
思うレベルの保守さの。
私はと言えば、人生をなめてる、遊びこそが人生!という
人生を謳歌するタイプだった夫は自分の父親と同じタイプだと思った。
結婚してこどもができたら、「家族を守る」と保守化したことは
想定外だったけれど。

私自身が娘の精神科でのカウンセリングに付き合って
精神科医の問いかけを見たり、
スクールカウンセラー臨床心理士?)のカウンセリングを
数回受けた。(3,4回か4,5回か)
心理学が好きな私は彼らの質問の裏の意味をつい勘ぐったり、
そんな質問の仕方では信頼を得ることはできないぞ、と思ったり、
私も不必要な発言はするまいと最小限の情報提供にとどめたり、
双方に全く歩み寄りがないカウンセリングで
(つまり私との相性が悪かった!)
本書に出てくるカウンセリングには至らなかったけれど、
カウンセラーにもカウンセラーがいるアメリカなら
きっともっと相性の合うカウンセラーに会う確率も
高いのだろうなと思った。

翻訳本で読んだけれど、久しぶりに”翻訳がうまい”と
思える翻訳本だった。
一般書なのに中高生レベルの日本語の翻訳本や
推理小説も興ざめ)
翻訳されているんだかいないんだかのカタカナだらけだったり、
英語はできるのかもしれないけれど、日本語がいまいちだよ!
という翻訳本が多い中、とても自然な日本語だった。

カウンセラーも人間なのね、という当然なことを認識した。

『恐れのない組織』

『恐れのない組織』

 

 

心理的安全性”というキーワードを行動心理学の本で知ったとき、
とても興味を抱いた。
本書で語られるのは組織の中における発言のしやすさ、
意見を言うことができるかどうか。
無知だと思われるのではないか、評価を下げられるのではないか、
そういうことを臆せずに、ではなく、気にせずに意見を言える、
そのために必要なことが”心理的安全性”である。

いくつかの興味深い例があった。
例えば、病院内で優秀なチーム(と筆者が考える)とそうではないチーム、
どちらの医療ミスの報告が多いか。
それはもう「優秀ではないチーム!」と思えば、そうではない。
優秀なチームのほうが医療ミスの報告は多い。
それはなぜか、そこにはミスを報告しやすい環境があった、
そして、その結果、ミスから学び対策をとることができ、優秀になる。
医師にその処方があっているかの確認ができる、
その”心理的安全性”こそ重要だ、と。

学歴やジェンダー、興味関心が同じ人を集めてグループを作ったところで
心理的安全性はつくられないらしい。
それは、主に”リーダー”によって作られる、というところも
とても興味深い。

そういうことなら、日本の十八番ではないか!と思ったら、
日本の例が挙げられている。
本書の中では情報を共有し、弱点を見せ、協力を仰いだリーダーとして
賞賛されていた人物、私は知らない人だったのでググったところ、
関連会社の社長となり、「コミュニケーション不足」で新聞に載っていた。
コミュニケーションを褒められた数年後、
コミュニケーション不足で新聞に載る…。

心理的安全性により多くの人が発言することにより、新しい見解を知り、
より生産性や安全性、または収益性が高まっていく。
そんなリーダー…私はここ数十年、出会ってませんけれどね!
多くの場合、心理的安全性がない日本社会では意見を言わないことが
出世への道であり、美徳であり、多数派になることが正しい。
「俺は意見を聞くリーダーだ」と言った人が本当に「聞いた!却下!」だったり、
「女性らしい細やかなリーダーになる」と言った人が、
「まずは私に一度話してくれる?」と各種、細かい要求をしてきたり…
(直属の上司ではないのに?!)
「僕の力不足でした!」と言った会長が「誠実だ」と称賛されたり…
(力不足だとわかったなら、ほかの人にその仕事を頼むこともできただろ?
その次の手はないのか?!と呆然)

リーダーたちの古さにも怒りに震えるものがあるけれど、
多くの人たちが心理的安全性がないからか、消極的賛成をしたり、
無関心になったり、アルコールが入らないと文句を言えなかったり…
という現状にうんざりを通り越して失望、絶望していた。
そんな中、意志ある人たちが立ち上がって意見を言う様子に密かに感動した。
(その多くが女性たちだった!!あんなに偉そうに私の前では言ったのに
会議には参加すらしない年上男性たちに頭の中で自主規制の悪態をついた)
のみならず、その女性たちは活動を開始した!
「メイさんが動いてくれたんだもの。私たちも!」と。
かっこよすぎる!!私より30上の女性たちに痺れた。
某有名企業の重役だった、お偉いさんだった、みたいなおじいさんたちは
みな所用があるという中、きっとずっと専業出主婦だったおばちゃんたちが
ネットで調べたり、電話をかけて回ったり、署名を集めたり、
積極的に意見交換しにでかけたり…
日本企業で出世するのはこういうおじさんたちか、と思う反面、
だから…(自主規制)…なんだよ、と思ったり。

「いままで何も知らなかった!」というおばちゃん、おばあちゃんたちが
いまや専門家!
「メイさんは知っているでしょうけれど…」と社交辞令でつけてくれるけれど
私が知っていることなんて、ほとんどない!
「どこで知ったんですか?」「どうやって、そこへたどり着いたの?」と
感心しながら聞き役になってしまっている。
それでも、私の得意分野で私が得た情報を共有すると
「もうちょっと詳しく」と言われたり、「もう一回説明して」と後から
lineがきたり、とすごく熱心に聞き役にもなってくれる。
みんなそれぞれに専門性をますます発揮し…というこれこそが
心理的安全性”なのだろうな、とおばちゃんたちの会合に参加して思った。
そこにリーダーはいない。
みんな「専門家ではない」とわかっている。
知り得た知識の共有と共通の目標だけ。
会合の帰り、「今日も痺れた…」とおばちゃんたちに圧倒された。

本書はとても読みやすかったけれど、1点、「ルー(大柴)すぎる」と思う。
エビデンス(根拠)はもう日本語になっているのかもしれない。
ブレイクスルー(突破)も、まあいいか。
ベスト プラクティス、ナレッジの共有、フィアレスな組織、ステークホルダー
(最善の方法、知識の共有、恐れのない組織、利害関係者)
これらはまだ浸透していないのでは?と思った。
フィアレスな組織、を私はフェアレスな組織、と読み、
不公平な組織???と思っていたけれど、
fearless、フィアレスな組織って、タイトルでは”恐れのない組織”って
なっているのに、この一貫性のなさは?と気になったり。
私も日本語がルー化しつつあることに危惧を覚えて日本語の本を読んでいるのに
そこでもルーになっているとは。
この前、出てこなかった単語、つい会話で言った。
「逆 overestimateってこと!」
みんなの頭に疑問符を打ち上げた…”過小評価”って言いたかったの~!!
日本語、意外にでてこない。

 

 

場違い

「場違いだ!」と気づいたような場に行ってしまったこと、
みなさん、それぞれ幾度かはあるだろう。

私の最初の”場違い”は大学時代に中国人の友人に招待されてホイホイ行った
”中国人の友人たちによる内輪の旧正月を祝う会”。
中国人の文化も知れるし、中国語も使えるし、
メイメイ、おいでよ~と誘われた。
日本人もいるの?と聞くと、いると思う、という回答だったので
適当な格好で行った。
中華料理の円卓が10卓以上はあるような超立派な旧正月の会で…
1卓に10人前後。
私が「メイメイはここ!」と座らされたのは中国人ばかりの席。
「ちょっ!!話が違うじゃん!」と抗議したら、「中国語しっかり話して」と
言うと友人は社交の場に消えた。
頭がショートするほど中国語を聞いて話した3時間だった。
日本人のいる席がよかった…と話すと、指さされた先は教授陣。
…日本人って、教授か!教授といるか、中国語で頑張るか、
中国語を選んだけれど、その後、その光景が何度か夢に出てきた。

場違いその2、
書道のZOOM新年会のお誘いを先生からいただき、
「見せれる字でも顔でもない」と言いつつも、断り続けることも失礼で
ZOOMなら、と参加。
「和気あいあいとしていますよ」と聞いていたけれど…
ZOOM入室してすぐに気づいた。
・・・師範の方々ばかりじゃないですか!!
私、まだ師範ではないんですけれど…雅号をもらったけれど
師範昇格だからもらったわけではなく
「練習を頑張っているから、今後に期待」の努力賞の雅号で…
師範の方々が口々に「練習不足で」という中で、先生が
「みなさんよく練習を頑張っていますが、特にメイさんがよく練習されてる」
なんて言い出すものだから、冷や汗ダラダラ。
自分の書いた練習用紙もすべて保管し、後から見返すと成長が見えたり
ダメな点に気づく、なんていう立派な心がけの師範の方々に
「メイさんはどう保管されてますか?」なんて聞かれて、
我が家の愛鳥のフン切り網の下に敷いてます、なんて言えるわけもなく…
「そろそろ電車の時間なので」と言い出せないZOOM,恐ろしすぎる、と知った。

そして、今回が人生3回目の”場違い”。
ちょっと諸事情があって、必死に動いている…。
伝手もないままメールしたり、メール返信に食いついたり、電話したり、
担当のおじいさまが親切で穏やかな人で、
「いいおじいさんだわ~」と思っていたら支部長だったと知る…。
そのおじいさまが「メイさんの参考になるZOOMシンポジウムがありますよ」と
わざわざメールで教えてくれたので参加した。
名前と県名を入力するように、とZOOM入室後の指示があり
私も入力して気づく…。
あれ?これ、全国いる…参加者はそれほど多くなくても
ちょっとしたシンポジウムの参加者ですら全国制覇?
さすがだわ~と組織の大きさを呑気に思っていたら
シンポジウムの内容が想像の3倍はレベルが高かった。
知らないことが多すぎてメモがA4のコピー用紙3枚。
どういう意味?とスマホで調べている間に進んでいく…頭がついていかない、
知らないことが多すぎる、と思った3時間。
そして、質疑応答のときに県名の意味を知った。
・・・これ、支部長さんたちの会議だったのでは????
だから、全国、各県二人ずつくらいでいるんじゃん!
質問する気満々だったけれど、急にPCの前で今更ながらに小さくなる。
これ、そもそも私が参加してもよかったのか?とドキドキする。
とりあえず、私に教えてくれたおじいさんに迷惑をかけないようにひっそりと
質疑応答をせずに聞くけれど、皆さんの的確な質問に
「私もそれ聞きたかった!」「私もそれ言いたかった!」が多く、
しかも、組織柄?みなさん、すごく穏やかで丁寧で品が良くて…
あぁ、こういう人に私もなりたい、と思いつつ拝聴。
約3時間のシンポジウムの感想を家族に聞かれた。
「レベル高すぎた…」に尽きる。場違いでした…。