ショコラ日和

海外文通を通して、世界の友達と井戸端会議しています。

言葉の違い

来春から小学生の娘が最近よく「お母さん、それ岡山弁!」と言ってくる。
関西に住んで8年目がきますけど、バリバリ。コテコテの岡山弁です。
生まれも育ち(18歳まで)も岡山で
岡山弁を関西で話して何が悪い!とず~っと岡山弁。
いまでは夫のほうが中途半端な岡山弁を話すほどに家の中では岡山。

上の娘が話すまで、孤独感を感じることが多かったのに
兵庫生まれの兵庫育ちの娘は、私の言葉を吸収し、完璧な岡山弁。
「こんなこてこての岡山弁の子は今時、おらんけん」と実両親が言うほど。
娘のおかげで、私は”家はここ”と思えるようになった。

でも、最近、娘は「~けん」って、どこの人?なにそれ~?と
言われるらしい。娘の一番仲良しのお友達のお母さんは四国出身で、
そこでも方言は「~やけん」なので、娘と仲良しの子だけ、
ちょっと違う言葉が入っているとか。
みんなと一緒が大好きな娘は、「お母さんが岡山弁だから、私もなる。
お母さんが関西弁を話せばええんや!」と。

「なんしー!」(なんでやねん、という岡山弁)
関西人の関西おるなら関西弁しゃべれや!みたいなあの空気とか
(中にはそれを堂々とおっしゃる人もいる、それが許容される雰囲気がある)
本っ当に嫌になる。
「いや~メイちゃん、岡山人やのにおもろいやん!」と
先日、知り合ったばかりのママさんに言われて、カチンときて、
「生まれも育ちも関西の割にオチとかあんた、話にないで!」と
返しそうになりました。
関西人=面白い、という等式が成立していないのに
関西圏以外=面白くない、と思えるその厚かましさ。
もぉ、呆れて感心します、毎回。

関西に住んだ当初は、
「なんて図々しい!土足で人のことをあれこれ聞くな!」と
怒ってばかりでしたが、
最近は岡山に帰ると「みんなが冷たい…」と思うようになった。
言ったもの勝ちみたいな文化が嫌い、と大阪に10年住んでも嫌がる
友人もいるけれども、私は融通のきく関西、好きです。
「なじみすぎやで!」と地元の人にも言われていますが、
言葉だけは変えられない、変えたくない。
これはもはや私のアイデンティティーですから。


「なんで岡山弁しか話さないの?」と娘に聞かれ、
「そりゃ~あんた、かあさんは岡山でずっと育ったんじゃけん。
岡山弁に決まっとるがー!なにがおえんの?」とバリバリです。
「変なの~」とか言う子がクラスにいるんだろうなぁ。
「はぁ?なにがおえんの?!」と娘得意の巻き舌で言い返してほしいものです。
巻き舌がものすごく迫力あるあたりは、さすが関西人…と思う。

ちなみに我が家は怒るとき、
「いけんで。」<「あかんで」<「おえんよ」<「おえんゆうとるやろがー!」
こどもたちが私に言いつけるときの言葉も
「~がおえんことしょうる。」(~がダメなことをしている)
”あかん”よりも怖い”おえん”で我が家の家長がわかる、
と夫は呟いていた。


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