私のパルたち、実はアイルランド出身という人が多い。
アメリカのパルたち、カナダのパル。
アメリカのパルの先祖はイギリスから…。
たまに彼女たちに聞かれる。「あなたのご先祖は?」
聞いたことありますよ!私のご先祖様。
母方の祖父は子ども時代にねえや(子どもの世話をするメイド)が
いたほどのお金持ちのぼんぼん、
母方の祖母も子ども時代はねえやがいたそうで…
事業に失敗して云々の話があって、私にはねえやがいなかったです。
父方の祖父の父は呉の造船所で働いていたが30代で病死。
その後、祖父の母の再婚により愛知に行き、疎開で岡山に。
祖父が話す”オヤジ”は必ず祖父が4歳に亡くなったときの
祖父にとっては記憶はないだろうオヤジで
再婚後の親父ではないことを最近、気づいた。
娘が「ゆみちゃんのひいじいちゃんの墓には星のマークがついているんだって。
戦争で亡くなった偉い人らしいよ。」と言った。
「死んだらみんな一緒!生きているなら偉くなんてならんでええ!」と
ついきつい口調で言ってしまった。
父方の祖母の兄は戦死した。
「兄が死んでも戦争に負けた。どうせ負けるなら死なんでもよかったのに」と
何度も祖母に聞かされた言葉を思い出した。
母方の祖父の兄も飛行機乗りで戦死した。
どちらのお墓にも星マークはなかったけれど。
父方の祖父の兄は飛行機の設計に携わっていたとかで、
飛行機の操縦を教える立場だったらしい。
自分の教えた人たちがどんどん飛んで死んでいく…それもきっと
嫌な仕事だっただろうなぁ。
先祖の話を海外のパルたちに聞かれても、戦争にまつわるあれこれが
多くを占めてしまうことから、いつもうまく書けれず、
つい「どこまでさかのぼっても日本からでてないよ」と茶化してしまう。
戦死したご先祖様がいる家の多さに戦争の大きさを改めて思う。