ショコラ日和

海外文通を通して、世界の友達と井戸端会議しています。

介護の愚痴

楽しいGWを過ごした人たちからいかに実家でくつろいだか、
羽を伸ばしたか、旅行に出かけた等の話を聞き、
「よかったねー」と言いながら棒読みになってないか不安になる。

私のGWは、いつものように高齢独居の祖父宅へ家族で行き、
来るたびにやっている気がする…と言いながら大掃除と洗濯祭りして、
盲目になって、タオルなどが古かろうと破れていようと
気づかない祖父の自尊心を傷つけないように
新しい同じような柄のタオルに交換し、
90を過ぎ、祖母が亡くなってから、かなりぼけてきた祖父に
「夕飯は食べたか?」と朝に聞かれても「昨日は食べた。今日はまだ」と
平常心で返し、
夜中の1時に玄関を開けて「誰か来ている気がする」という祖父に
「絶対に誰も来てない!!」と言い…という連休で疲労困憊し帰宅。

祖母が寝たきりになったとき、トイレの世話もおむつ交換もやったし、
何度もポータブルトイレで失敗した祖母の後始末もやった。
しっかりしていた祖母の度重なるトイレの失敗に泣きながら
祖母のパンツを大学生の私が何度も洗った。
そんなとき、実母も実妹も「お姉ちゃんよろしくー」の一言で
さりとて手伝わず…。
そんな実妹から、「近くにいる父がもっと介護するべきだ」なんていう
ラインが来て、プチっと来てしまい既読スルー。

いやいや、近くにいたとき何もしなかったのはあなたも一緒でしょう。
遠くにいるからできない、
近くにいる人がすればいい。
その理論でいくなら、海外にいる実妹はずーっとなにもせず、
国内にいる私はこれから祖父の介護、両親の介護ってなるわけ?
一回やってから言いなさい!と怒り心頭したまま現在に至る。

介護のしんどさは、いつ終わるかわからないことと日に日に進化する子ども相手の
育児と違い、日々退化する高齢者を相手にすること。
しっかりしていた時代を知っていれば知っているほど悲しくなってしまう。
介護する人の心にゆとりがなければ言動もきつくなってしまいがち。
その上に、「こうしたらいいのに」なんていう発言を介護していない人に
いわれた日には怒りのスイッチがすぐに入ってしまう。
いま現在、介護をしている人が知り合いにいて、
とめどなく先日2時間ほど介護の愚痴を話していた。
「言っても仕方ないことばかりで」「なんの解決にもならないけれど」
と言いながら続く話を全身で傾聴。
介護の話は聞いてくれる人も少ないのです、と言いながら帰っていった。
どこにも楽しい要素はないですから、介護の愚痴はもう最強です。
私も夫以外にも愚痴る相手、場所がいる!とブログで発散。
きっと私のブログを見ている人は介護している世代なんて
いないだろうなぁ~と思いつつ。。。