一人暮らしをしていた今年で92歳になる祖父が施設に入所したのは
今年の7月末。
認知症の症状らしきものはあったけれど、
受診しても「年相応」と言われたらしい。
「まぁ、92歳ですから」と。
祖母が認知症になったとき、お金への執着がすごくなった。
洗濯物をタンスに片づけただけで、
「私のお金を盗ろうとしているんじゃろ!!」と何度怒られたか。
いやいや、そもそもタンスにお金入れてないでしょ、
なんて言い返したところで始まらない。
祖父の場合は食べ物への執着で、「勝手にせんべいを食べた!」とか
「勝手に奈良漬け食べた」とか「買ったはずの牛肉がない」とか…。
食べ物に執着するくらいは、「買っておきました!」と渡せば
それで済んでいた。
そのうち、深夜2時ごろ、「お昼をまだ食べてないから、作りに来て」と
電話が週に2、3度、来るようになった。
私が大学生の長期休暇で帰省中、という都合のいい時代に祖父はいた。
ほかにも「スーパーに来たけれど、帰れないから迎えに来て」と
車で10分ほどのスーパーにいるという。
どうやって?!と聞くと、歩いて、というので、
まさか?!と電話で父をたたき起こし、父に確認に行ってもらうと
祖父は自分のベッドの上にいた…夜中の3時の話。
そして、ついには盲目の祖父は家を抜け出した。
朝、ヘルパーさんが行くと祖父はいない!と。
町内放送に警察に…と探し回り、数軒先の物置の前に
傷だらけで祖父はいたらしい。
祖父がでかけないように家の鍵をかけるのは火事などが起きた時によくないと
ケアマネさんに言われ、駐車場や門扉にカギをつけた。
昼に寝るから夜中に起きるんだろう、と私は思い、
昼の2時ごろ、「おじいちゃん~!!」と電話で昼寝を妨害し、無駄話をしたり。
しかし、夏の暑さにバテていき、祖父は電話すらとらなくなった。
食欲も落ち、往診を頼み、点滴をしてもらったりしたのは数週間前。
その後、今度は弄便が始まったらしい。
毎朝、父は祖父の便があちこちについているのを片付ける、
そんな生活を2週間したとき、「入所」を決断したらしい。
死ぬまで家にいたい、そう祖父は思っていただろうし、
私や父もそうできるようにがんばってやってきた。
「もう疲れたわ。」という父の言葉に「もっと頑張って」とは言えず
ただうなだれた。
祖父が入所して2週間過ぎ、誤嚥性肺炎になって祖父は入院した。
当たるも八卦当たらぬも八卦という易者のように
「治る人もいれば、死ぬ人もいる」と医師が言った。
お見舞いに行ったとき、点滴でつながれ、点滴を抜くため拘束され、
口を開けて苦しそうに呼吸する細くなった祖父がいた。
祖父の横で、家で死ぬって、なんて難しい時代になったんだろうかと
改めて考えさせられた。
10年前は入院した祖父に「退院したら、何食べたい?」と聞くと、
「ステーキ!!」と答えていたのに
いまはなにも答えなかった。