ショコラ日和

海外文通を通して、世界の友達と井戸端会議しています。

ダウンサイジング

NHKの「世界のドキュメンタリー」が毎回、見ごたえがある。
カナダの番組がダウンサイジングをテーマにしていた。
年をとり、家を小さくしたり、所有するものを減らす、
というダウンサイジングのドキュメンタリー番組。
3人がダウンサイジングをしたけれど、コツコツと貯めてきたものを
整理して、捨てたり、処分したり、寄付したり、
これはひいおばあさんが描いた絵、おじいさんの集めた皿、
といったものがたくさんでてくる。
ひとつひとつに思い出があって葛藤する場面を見て
我が家を見回してしまった。

我が家は逆に家を大きくする、という選択をしたけれど、
30年後、家を小さくする、引っ越す、所有物を減らすという
選択が必要になったとき、「これは手放せない。思い出が多いの」
というものが果たして、どれだけあるのだろうか、と。

引っ越しのとき、かなり処分した。4t車2台分。
祖父の形見として茶器と眼鏡、免許証、
祖母の形見としてはちぎり絵の作品を持っている。
鞄ひとつに収まる程度にしかない。

我が家のお宝もピアノ、一枚板のダイニングテーブル、
目下、価格が上昇中の画家が初期?に描いた絵。
私が高齢者になり、引越しをするときに持っていきたいものは
この中にはひとつもない。
海外のパルたちからもらった手紙も引っ越しのときに
もう一度読んで捨てた。

「こつこつ働いて、貯めて、
やっと買った一品ってことがわからないのね」と思い出の品々を
次々に捨てる孫に番組の中で祖母が言っていた。
私も両親や祖父母の家を整理するたびに言われた。
「あっちへは持っていけないよ。」と言い返していたけれど、
思い出の品の量や基準は人によって違うのかもしれない。

今日は一日、家の中をうろうろして、思い出の品や
これだけは捨てられないもの、棺に入れたいものを考えた。
婚約指輪と結婚指輪(2つ!)は、外さず焼いてほしい。
それ以外は、私にはいらないものだと思う。
そう思いながら、それ以外の品々に囲まれて暮らすっていうのも
おかしい話だと思うと、片付けがはかどった。