夫の祖父が危篤の報を受け、一番最後になってしまったけれど
病室に駆け付けた。
孫にあたる夫の顔を見て、ひ孫の顔を確認して、
その30分後、夫の到着を待っていたかのように亡くなった。
そこから怒涛のお葬式準備でした。
入っていた葬儀会社から担当者が来られて、葬儀のあれこれを決める。
私は参加せず、お客さんの対応をしていたけれども、
遺影の額縁の色から、逝去のお知らせのハガキに至るまで、
どれもこれもがとても細かく…
これを私がすることになったときは一言、「適当に安いのを」で
済ませてしまいそうな危機感を感じた。
たくさんの選択肢で頭をパンクさせると、脳は理論ではなく感情で動く、
という心理を『マインドゲーム』(ドラマ)でしていたなぁと
葬祭業者さんを見て思った。
お通夜やお葬式の間、線香を絶やしてはいけないので、
みんなで順番に寝ずの番。
私は夫や夫の兄弟と通夜の晩に起きていた。
夜中の3時、おりんが「チーン」「チーン」と鳴った。
おりん、ないんですけど…。
聴こえたのは義妹と私だけ。「ひぃ~!!」です。
葬式の読経中に末っ子が廊下をじーっと見て、
「じいじ、おるけど。」と呟いたり、
あちこちにおじいさんの気配を感じた3日間。
仏の弟子として修行を開始したハズですが、
多分、今頃はカップ酒片手にカラオケしてるわ、と誰かが言うと
実の娘ですら、「旅銭(三途の川を渡るときの船代)で競馬かパチンコちゃう?」と。
おじいちゃん、少ない船代(6文)、大きくしようなんて思っていると
船で渡れなくなるよ~とちょっと心配。
法事にばかりでていて、久しぶりのお通夜、お葬式。
いまは”清めの塩”を配らないことを初めて知った。
死者は穢れという考えは神道由来だということらしい。
おじいちゃんの喜びそうな派手なお葬式だった。