ショコラ日和

海外文通を通して、世界の友達と井戸端会議しています。

エマ・ワトソンとフェミニニズム

 エマ・ワトソンが胸が見えそうな状態の写真を撮ったことで
フェミニストから偽フェミニストだと批判を受けているらしい。

www.huffingtonpost.jp

私はフェミニストだけれど、
エマ・ワトソンを偽フェミニストだとは思わない。
(しかし、みんな偽者を作り出すの好きだな~と思う。
偽本好き然り。

bitter-chocolate3.hatenablog.com

私は本物よ!と証明することのほうが大変で、
私は偽物で結構です…と思ってしまう省エネな人間になってきた)

 

胸を見せたい?どうぞどうぞ~としか思わないけれど。
ノーブラだろうと胸を見せようと、
胸が見えそうで見えない状態だろうと
あなたがしたいと思ったことをすればいい、
女性の性に縛られずに自由に生きる、
それが私にとってのフェミニズムだわ、と改めて思った。

便所が汚いイメージがついてトイレへと言葉が変わり、
いまはパウダールームだか女性用休憩室だか知らないけれど、
フェミニズムもイメージが悪い。
一言、「フェミニスト」だって言っただけで
そのあとは言動をこんなに制限されるなんて。
フェミニストはこうあるべき!なんて誰が決めたのやら。
みんなの中にそれぞれのフェミニストがあっていいだろうに。
良いと思うことはそれぞれの価値観で違うとわかっているのに
フェミニストは画一的って、なんで思えるのかしら。

私の思うフェミニズムは決して女性優位主義ではない。
ジェンダーを超えたもの、というほうが近い。
女性ということで期待されるものから自由になる、
自由になりたいと思っている人は、
男性が男性として期待されることを期待しない。

フェミニストと胸を主張することに対立はないと
若いのに言えるエマ・ワトソンはすごいと心底、思う。
ええ、全くの皮肉もなく。
私は専業主婦をすることが
ものすごく長い間、葛藤とストレスの元になった。
そんないまの私は、”リベラルフェミニスト”が近い。
っが、日本ではラディカルフェミニストが多い気がする。
リベラルフェミニストは性差から自由になろうとするのに対し、
ラディカルフェミニストは女性を苦しめるのは男性社会や
男性だと対立路線。
私も一時期はラディカルフェミニストだったけれど、
「俺まで攻撃対象か?男っていうだけでひとくくりにすることに
抵抗はないのか?」と当時の彼、いまの夫に言われ、
確かにねぇ~…と思った。

いろんな人がいる、いろんな女性がいて、いろんな男性がいる、
いろんな人がいるから世界は面白いのよ。
フェミニストはこう!と画一的だったら
世界は面白くないじゃない。
ストリッパーのフェミニストもいるだろうし、
弁護士のフェミニストもいるだろう、
それぞれが自分の中で大切にしている思いがある、
それではダメなのかしら。
エマ・ワトソンフェミニストか?と聞かれたら、
本人が「フェミニスト」って言う限り、そうだと思う。