ショコラ日和

海外文通を通して、世界の友達と井戸端会議しています。

ジェンダー?

ブラジャーはフェミニズムを刺激する気がする。
正確には女性の下着が刺激するのだろうか。
かの有名なウーマンリブもブラジャーのイメージが大きい。
大学時代の社会学の女性教授はいつもノーブラだった。
ふんわりとしたボディラインのわからない服を着ていたので
気づかなかったが、夏の薄い生地の服からは先生のノーブラがすぐわかった。
社会学の講義の間中、ノーブラをつける権利を認めたい私と
公序良俗は?いや、でも服は着ているし(透けているけれど)
これが男性だったら乳首が見えてもいいのに?
いや、男性でも嫌だし…
しかし、他人のファッションにとやかく言うなんて…
そもそもどこにも違法性はないわけで…と
ノーブラからジェンダー論やファッション、法律を考えさせられた。

そんなとにかく気になる”ブラジャー”。
私自身は母親に「上の服に影響を受けない色にすべし」と言われてきた。
いやいや、そこは反動で…と反逆者になってみたりもした。
娘が必要になったとき、「好きなものにしなさい!」と言った。
ただし、必要なことがひとつ。
「自分にぴったりのサイズを選ぶこと」。
女性ならわかる、これがいかに難しいか。
レースやリボンじゃない、きっちり、ぴったり、スッキリ、と
サイズ感のみを私はチェックした。

ところで、最近、ブラジャーの変異を感じた。
私が若かりし頃…つい最近、20年ほど前までは”大きく”見せることが
最重要課題で、パッドを詰めたりなんていうのは標準装備で
いかに大きく見せるか、が重要視されたデザインだった。
そのデザイン、きついことも多々あり、大きく見せる必要はないのに、
必要なのはホールド感だよ!と思っていた。

いま、今度は”小さく見せる”ことが流行っている。
さらしブラ、というネーミングのものまであり、
今度は小さく見せることに必死で、またきつい…。
ブラジャーをつける意味はゴムのように伸びて戻らなくなる
クーパー靱帯を支えること、だと思っていたけれど
”大きく見せたり”、”小さく見せたり”、それはもう
クーパー靱帯、関係ないね…
誰のためのブラジャーなのか?とブラジャー売り場で立ち尽くし、
社会学の講義へと戻された。

「私の体は私が決める」
女性の自己決定権を手に入れていることを感じるブラジャーが欲しい。
いや、そもそもクーパー靱帯は加齢に抗って維持するべきものなのか?
私はクーパー靱帯が伸び切ってバストが垂れることよりも
子宮脱のほうが恐ろしくてならない、
(子宮脱、妊娠出産により子宮を支えている靱帯や筋肉が緩み
子宮が下がってくること。末っ子が4キロ超えだったため、
産婦人科医に子宮脱に注意!と言われた。
どうやって注意するか?子宮にブラジャー…はできないので、
運動と産後の安静…気休め程度のアドバイスしかないという。)
ブラジャーは今も昔もジェンダーの宝庫だと思う。