ショコラ日和

海外文通を通して、世界の友達と井戸端会議しています。

『犯罪は予測できる』

犯罪機会論、という言葉を数日前に知った。
犯罪を未然に防ぐ、という考え方で、”予防歯科”みたいだと思った。
予防歯科、虫歯になることを防ぐこと、フッ素塗布など)
現在は犯罪原因論が主流のようで、どうしてその人は犯罪を犯したか、
に着目されるという。
それは半分正解で、半分正解に永遠にたどり着けない気がする。
同じ環境で、同じ条件の人なんて存在しない中で、
その人の犯罪を犯すまでをいくら突き詰めたところで意味がないのでは?
まるで「あなたは、なぜ今日、宿題を忘れたのか?」と聞かれる子どもと同じで、
「忘れた」ことを追及しても意味を感じられない。
犯罪機会論は犯罪者を生み出さないようにするシステム作りに
近い気がする。

この頃、新聞で見かける「コーヒーをRを注文してLを注いだ」、
という事件。あれは窃盗になるらしく、
中学校の校長先生が懲戒免職になっていた。
コーヒーの窃盗で懲戒免職?そこに常習性があったとしても
コーヒーで懲戒免職になるのか!?と驚いた。
その一方で、疑問に思った。
「また、このコンビニコーヒーの窃盗?」と新聞を読んでいる私が
思うくらいならば、コンビニで働いている人たちには日常茶飯事なのだろう。
それなのに、なぜシステムを変えないんだ?と。
コーヒーRとコーヒーLの機械を対角線に設置することや
R専用カップは黒色に、L専用は白色に、と明らかにわかるようにすること
(注文した人だけでなく、周囲から一目瞭然にすることで抑止力になるのでは?)
犯罪者にさせないシステムづくりがもっと簡単にできそうなのに
そのシステムを作らず、窃盗しやすい環境を作り続けているのでは?と思った。
”犯罪機会論”はそういった”犯罪の機会”について考えている。
性善説ではなく、性悪説でのシステムづくりが根幹。
私自身は性善説を信奉しているけれど、”魔が差す”こともわかる。
魔がさしかけた時、抑止力に働くシステムがあれば、機会、場所、システム、
どれかひとつでも欠けていれば犯罪者にならなかった人は
たくさんいるのではないか?

『犯罪は予測できる』

犯罪機会論について、犯罪や防犯の常識が実は全く事実と異なること
などがたくさんでてくる。
防犯カメラは役に立たないこと、(防犯カメラを気にせず犯罪をする人がいる!
防犯カメラが抑止力になっていないという現実に驚いた。)
イラストでよく見るわかりやすい”不審者”、サングラス、帽子、マスク…
ではなく一般に溶け込んでいること(考えれば当然!ピンとくれば110番
恰好をしている人なんて、見たことない)
人通りの多いところは傍観者効果で、結局誰も見ていないこと…
つまり、私たちの知っていた”防犯”はほぼ間違いだったってことか?!と
衝撃を受けた。