ショコラ日和

海外文通を通して、世界の友達と井戸端会議しています。

愛別離苦

長くはないと言われ続けて1年過ぎていた祖母が亡くなった、
と電話を受けたのは夜の23時。
翌日の午前中に会いに行く予定だったのに。

小学校、中学校と学校から帰る先は祖父母宅で、
両親より長い時間を過ごした祖母が脳梗塞を起こし、
右半身まひとなり、ほぼ20年、
介護施設にも10年お世話になった。

祖母が亡くなったと聞いたとき、一番に思ったのは
「最後に祖母に名前を呼ばれたのはいつだったっけ…」だった。
施設入所で認知症も進み、
祖母は祖母の人生の華だった自分が50代の世界にずっといたようで、
私はいつも私の母の名前で呼ばれていた。
祖母がしっかりとした足取りで歩けるようにならなくてもいいから、
せめてもう一度、名前を呼ばれたいと何度も思ったけれど
結局、祖母は私の名前を呼ばないまま10年、そして亡くなった。

「棺に愛用のものを入れてあげてください」と言われ
祖母がいつも大事にしていた黒真珠のネックレスを入れようと
祖母の宝石箱を開けて呆然とした。
きっとすでに認知症になっていたのであろう祖母は
宝石箱にガラクタをたくさん入れていた。
「黒真珠を探すから!」と3時間近く、あちこちのタンスを開け、
結局見つけたのは祖母がお気に入りだった象牙のネックレス。
祖母が「自分の給料で買った!!」と自慢していた金の指輪も
大事にしまっていたスカーフも、同じくしまいこんでいたディオールの口紅も
一番高いところで大事に置いてあった皮のカバンに入れて
祖母に持っていってもらった。
もしかしたら、「この口紅の色はいまの私には無理じゃろ!」とか
「この鞄より別のカバンのほうがよかったのに!」と
怒って夢枕に立つかと思ったけれど、でてきてくれなかった。

きちんとした格好やTPOにうるさかった祖母、
葬儀のときにきちんとした恰好ができるように私が行く前に
亡くなったのかもしれない。
私は家で服も小物も靴もすべて完璧に自分のものも
家族のものも準備でき、お通夜にも間に合った。
ただ、自分の肌着を丸ごと忘れていた。
娘の花子が
「私もおばあちゃんのお葬式には慌ててパンツ忘れるのかしら。」と
言っていた。
大丈夫!いまはコンビニがあるから!
コンビニでパンツ買うのは急にお泊りになった人だけかと思っていたけれど
慌ててお通夜に駆け付けた人っていうパターンもあるんだなぁ~と思うと
ちょっとおかしかった。

 

 

にほんブログ村 その他生活ブログ 手紙・はがきへ
にほんブログ村