ショコラ日和

海外文通を通して、世界の友達と井戸端会議しています。

突発性難聴ではなく…

娘の突発性難聴のその後を書こうと思う。
(私自身も突発性難聴のブログを読み漁り、とても参考になったので
こういう経過をたどる人もいますよ~ということで)
娘は数日後には眩暈で起き上がれなくなり、
再度耳鼻科を受診したところ、検査ではほぼ聴こえていないレベルに
なっていた。
しかし、耳鼻科医は「こんなに急激に悪化することはない。おかしい」と。
紹介状を書くから大きい病院へ行って詳しく検査してもらって、
ということで紹介状をもらって、その足で大きい病院へ。

大きい病院でも聴力検査をしたところ、
まあまあ聴こえている結果だったらしい。
しかし、その話を聞き取れない娘は
「もう1回言ってください」と医師に言っていた。
娘の後ろに座っていた私には聞こえたけれど…。

総合病院の耳鼻科医曰く、「聴力検査の結果がバラバラすぎるから
一度、詳しい検査をしよう」ということで、ABR検査をすることに。
眠っている間に聴こえているかのチェックをするという検査。
そして、2時間の昼寝後、娘の結果は「聴こえている」と。

つまり、娘は突発性難聴ではなく、
心因性難聴、という診断だった。
聴力の機能はあるのに、脳が拒否しているってこと???
そこで耳鼻科医は娘に聞いた。(私は後ろに座っている中で)
「ストレスは、学校?家庭?」

・・・はい???ストレスはその2者択一なの?!と。
後ろで呆然としていると、娘は「学校ではないです」と言う。
ってことは家庭っていうんかい!!
というツッコミを後ろで入れそうになる。
娘は”心因性”ということで、薬はなし。
次に行くなら心療内科へどうぞ~と。
朝9時からかかりつけの耳鼻科、昼前に総合病院に行き、
すべて終わったのは16時…。
わかったことは”心因性難聴”。
娘は耳鳴りがすごくて眠れないと眠れなくなっていった。

心因性難聴、薬はないけれど、耳鳴りがうるさくて眠れない、
眠れないからしんどい、と学校を休みがちになった娘。
娘は「心療内科を受診したい」と言ったので、予約をとることにした。
心療内科、全くわからないのでネットの口コミ評価が高いところから
順番に電話をかけて「初診の予約をとりたい」と聞いてみた。
口コミ評価が高いところは3か月待ち!
どんどん評価が低いところへ…それでも予約が取れたのは7日後。

心療内科のドクターはサバサバした男性医師で、
「1回で解決する問題はないよ。」と。
そりゃそうだ。
心因性難聴で、〇日から右耳が聞こえづらくなった、と娘のように
はっきりと日付がわかるときはなにがトリガー(引き金)に
なるストレスがあったのでは?と聞かれていたけれど、
「ないです!」となぜか自信満々で答えた娘。
「まずは、自分で自分のストレスを言語化してみて。
そうでないと、ほかの人にも伝えられないから。」と。
ストレスチェックをしたところ、まあまあのストレスだったようで
2週間後の再受診。

その後の娘は手芸にはまり、手芸道具のあれが欲しい、
これが欲しい、と言い出すようになり、
前向きになり、学校にも現在は復帰している。
これは多分…”5月病”っていうんだよ、と私と夫は思っている。
クラスの少ない小中学校で過ごしてきた娘には10クラスの高校生活が
しんどかったのかもしれない、と。
入学当初もクラスに同じ中学出身者は0人の中、
友達を作り、なんとか1年を過ごし、2年生になりクラス替えしたところ
理系コース選択のため友達はまた0人スタート…という環境の変化に
娘はきつかったのかもしれない。

そのくらい…と言いかけそうになるけれど、
ストレスの耐性は人により違うから、という夫の言葉に黙って頷く。
娘の突発性難聴心因性難聴、心療内科不登校っぽい生活に…
私の血圧は170の100から下がらくなった。
看護師のママ友に言われた。
「正直、娘ちゃんの耳鳴りでは死なない。あんたのは死ぬで!」と。
ストレス、危険…。