ショコラ日和

海外文通を通して、世界の友達と井戸端会議しています。

宿題はどこまで親?

宿題を見ていると、「親はどこまでやる?」と思うことがある。
先生によっては計算ドリルの丸付けも親にさせ、
間違えた箇所は親がこどもに修正させ、再度丸付け。
それを学校に持って行き、先生がポン!と判子を押すだけ。

この方式、最近の小学校ではかなり一般的のようで、
「あれ?丸付けは先生か学校で授業中に一緒にではないの???」と
”昔は…”と語りたくなったけれど、
市内の他の小学校でもこの方針が多いらしい。

丸付けをしていると、「うちのこは、こういうところで引っかかる」
というのがとてもよくわかったので、
「こういうところは要注意よ!」という指摘などがこどもにできるのは
良いところだと思う。

「親が学校に求めすぎる!」という話もよく聞くけれど、
「学校が親に求めすぎる!」というところもあると思う。

ただ、共働きなどで忙しいママさんは、丸付けだけ。
こどもが宿題をやったことを否が応でも毎日確認できるのは利点だろうけれど
(それでも、宿題をしない子は宿題をしてこないらしいので、
多分、その親は宿題に丸付けする、ということも知らないのだろうけれど)
はてさて、意味があるのかしら。
クラスの問題を話し合う、と保護者会を開催したところで
問題児の親は来ず、問題のない子の保護者ばかり来るのと同じで
きっと学習に関心のある親は丸付けの必要がなくても
こどもの宿題をチェックするし、
関心のない親は丸付けの必要があっても宿題には関知しない。

授業をどんどん進めて、宿題をたっぷり出して、
ついてこれない人はそのまま~という状況が小学校である、
その現実に驚かされる。
進学校でも私立でもなく、公立小学校で。

焦った親は「わからないことを聞いてきなさい!」と塾へ…
というのもよくあるパターン。
わからない?授業聞いていた?先生にもう一度説明してもらいなさい、
と私はつい言いそうになるけれど、そんな時間は先生にはないらしい。
いまは帰りの会が終わればすぐに下校で、校舎へ残ることは不可。
放課後の図書室も禁止。
「参観日を見て、これはダメだとこどもを塾へ行かせたわよ」と
現役小学校教諭のママですら言っていた。

娘の友達も「算数のこの単元がわからない!」と
壮大にわからなくなり、
「花子ちゃんママにわからないことを聞いてきなさい!」と送り込まれた、
我が家に…。
ちょ、ちょっと!!
娘も含めて一緒に、”塾ごっこ”をした。
娘の友達が何につまづいているのかを問題を解きながら把握し、
「わかった~!」とすらすらと解く彼女を見て、
これがきっと”教師冥利に尽きる”瞬間だろうに、
先生、見逃していることが多いのでは?と思った。