ショコラ日和

海外文通を通して、世界の友達と井戸端会議しています。

『ウォント バック ダウン ママたちの学校戦争』

『ウォント バック ダウン ママたちの学校戦争』 

 原題は"Won't Back Down"だけれど、
ウォントというカタカナ表記についwantかと思い、
back down:手を引く、引きさがる、
なので、『手を引きたい』???学校戦争から?
どんな映画?とタイトルから気になった。

Amazonプライムでおすすめされた映画。
なかなか私の趣味をよく心得ている。
”Won't Back Down" 引き下がる気はない

識字障害のある娘にも公立小学校で
よりよい教育を!と奮起したママさんと賛同した教師たち、
そして教師組合との闘争。

あぁ、アメリカの話…と思うなかれ。
日本でもいまはほぼ同じ状況になっている。
我が家のこどもたちが通う公立小学校に限らず、
グレーゾーンのこどもや支援が必要なこどもたちは
どんどん増えている。10人に1人は支援が必要な子どもに
なりつつある、と以前、知人の小学校教諭に聞いたときは
「それはちょっと盛ってる!」と思ったのは
こどもたちが就学前。
いまならわかる、先生、控えめに表現していたのか!と。

我が家のこどもたちの友達でも「漢字がいつまでも書けない」
という子が数人いる。
そのうちの一人は専門の病院を受診したけれど、
それはママさんがディスレクシア(識字障害)の存在を知っていて
もしかしたら?と疑ったから受診に至ったわけで、
識字障害自体をまだ知らないママさんも先生も多いのでは?と
思うのは、その問題が日本の学校では放置されているように
思うから。
AETとして日本で英語を教えていたアメリカ人のパルが
何度も愚痴っていたのは
「日本で学習障害のこたちが明らかに誰からも期待されず
適切な支援もなければ、支援の橋渡しもされず、
放置されている状況が信じられない!」ということ。
返す言葉もなかった。

先日、小学校の参観日があった。
我が家のこどもたちが通う小学校はおだやかなこどもと保護者、
(市内の小学校比)のハズだけれど、
二極化がすごい気がする。
花子、太郎、次郎と3つの学年を見て、学年カラーがわかってきた。
花子の学年は上と下で中間層はない。
太郎の学年は小粒揃いで、びっくりするほどできない子もいないし、
目を見張るほどできるこもいない。
先生も教えやすいだろうなぁと思う…(学習面では)。
次郎の学年は、「やばい」「これはやばい」「やばいぞ」と
年々、やばいの連呼しかできなくなる。
小4の漢字テストで6点を取るこがいたり、
小4なのに九九が怪しい子がクラスに何人います???だったり。
(参観日で見てしまった…この状況でよく参観日に算数を
選択したなぁ、と感心。すべてオープンにするぞ!という
心意気か、このやばい状況に感覚がマヒしているのか。
多分、後者。)

映画では、保護者が小学校を改革しようと立ち上がる。
そんな熱いママ、こどもたちの通う小学校にはいないだろう。
教育にかける情熱がない保護者が多い、というよりも
それも含めて二極化しているのかもしれない。

休校期間、市内の公立小学校でも学習支援の歴然とした差に
がっくりきたり、同じ小学校でも担任の先生による支援の差に
呆然としたり、若い先生が多い中学校なのにネットを
使いこなせていない学校に失望したり…。がっくりばっかり。
そのたびに「公立だから。」と言われたけれど、
公教育って、なんなのだろう。
機会の平等を与えるだけ?
こどもの個性を尊重といいつつ、どの子にも一律の機会だけ
与えるの?それだけなら、AIで、もうできるのでは?

教育に正解はないとわかってはいるけれど、
映画を見ながらため息しか出なかった。
私も立ち上がって学校を改革する!とは思わない。
私自身が学校への期待値が限りなく低い。
そんな自分にもため息ひとつ。